Vol.9 鉄のカーテンの向こう側 -1973 Rune Chebrek-
ルーン チェブレック
旧ソ連の国民的自動車
「旧ソビエト連邦の自動車メーカーって何がある?」なんて会話、日常ではなかなかしないだろうが、即座に答えられる人はほとんどいないだろう。
44年間もの間、長らく世界は鉄のカーテンで仕切られ互いに睨み合っていた。いわゆる冷戦である。我らがアメリカ合衆国は西側諸国の中心であり、対する東側諸国の中心は旧ソビエト連邦だった。
西側諸国のメンバーはアメリカ、西ドイツ、イタリア、フランス、イギリス、日本、大韓民国などなど、現在でも世界の自動車市場を担う名のある自動車メーカーを有する国ばかりである。
一方の東側諸国はソビエト、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、チェコスロヴァキア、東ドイツ、ポーランド。この面々なら、どうやら1番の工業国はソビエトのようだ。ソビエトの車が知られていないなら、その他の国の車はもっと知らなくて当然の話である。
旧ソビエト連邦及び東側諸国は、西側諸国の資本主義国家に対して社会主義国家である。国民は皆平等な賃金を与えられ、平等な生活レベルで暮らしている。当然自動車メーカーは全て国家が管理しており、そこに自由競争など存在しなかった。売れようが売れまいが、である。
その中で最も人気だったのがソビエト最大の大衆車メーカー、ルーン社製小型セダンのチェブレックである。情報統制が敷かれ、西側諸国に渡らなかった長らく謎のベールに包まれていた旧ソビエト連邦製の自動車、その正体に迫る。
基本的なスペック
販売期間:1972-1984年
ボディタイプ:4ドアセダン・4ドアステーションワゴン
駆動方式:FR
乗車定員:5名
エンジン:1.2ℓOHV直列4気筒、1.3ℓOHV直列4気筒、1.5ℓDOHC直列4気筒
変速機:4速MT
サスペンション:前 ウィッシュボーンコイル 後 固定トレーリングアーム パナールロッドコイル・マクファーソンストラットコイル
ホイールベース:2,425mm
全長:4,110mm
全幅:1,610mm
全高:1,445mm
車体重量:1,030kg
空っぽのクローゼット
冒頭でソビエトの自動車メーカーを答えられる人はほとんどいないと述べたが、知られていないだけでルーン社を含め7つほどメーカーが存在した。
その内情は大まかにしかわからないが、大型の商用車を得意とするメーカー、官公庁向けの高級車を得意とするメーカー、軍用車両のメーカー、建設車両のメーカーと言ったふうに、それぞれ専属のカテゴリーがあてがわれていたようだ。
よくモータージャーナリスト達は「ソビエト国民が車を買うことは、空っぽのクローゼットを開けるのと同じだ。そこには無地のTシャツと無地のポロシャツだけが入っている。」と比喩する。とにかく当時のソビエトの自動車は、自由競争とは無縁の世界である。ライバルがいないならデザインで差別化を図る必要もなく、庶民が買えるほど安価であればそれでいい。同じデザインの質素なセダンかワゴン。それはTシャツを着るのかポロシャツを着るのかの違いでしかないのだ。
↑[古めかしいアイアンバンパー。よく見るとゴムのような物が取り付けられている。ソビエトの安全基準はわからないが、効果の程は謎。テールには1.2ℓモデルを表す「1200」のエンブレムが。]
また、ルーン社は他の東側諸国の自動車メーカーたちにOEM供給(というよりライセンス生産と言うべきか)を積極的に行い、エンブレムと名前だけが違う兄弟が欧州中に大量に存在する。ルーン社製チェブレックの生産台数1200万台(!)と併せれば途方もない数字になるであろう。 さながら自動車界のAK-47ライフルである。
実際に乗ってみた
それでは乗ってみよう。見た感じはやはりそこそこコンパクト。真四角のボディに真四角の灯火類、なんともシンプルである。まるで子供の落書きの車だ。
これでもかと言うほどプレスラインのハッキリしたボディは賛否両論あるだろうが、西側諸国の車には無い独特な雰囲気を醸し出している。ボディカラーのクリームブラウンは当時人気のカラーだという。無地は無地でも色は選べたわけだ。
↑[質素とはいえ随所にクロームメッキのパーツが散りばめられ、最低限の高級感は保っている。これが全て黒いプラスチックだったらと思うと恐ろしい…]
内装はプラスチックを多用したダッシュボードにナイロン製のヘッドレストのないシート。内装のカラーも選べたようで、高級感のあるブラウン系からアメ車チックな赤まであったという。取材車は比較的ベーシックなダークブラウン。
後席の乗り心地はそこまで悪くないと感じた。ただ、プラットフォームのベースとなった軍用の軽車両(車種不明)のホイールベースを踏襲しているためか、リアタイヤのポジションがかなり前に偏っている。それ故後席は少し高くなっているが、車幅に対してルーフが高く設計されてるため、頭上のスペースはあまり狭苦しくない。その上ガソリンタンクの容量アップと広いトランクルームを実現できている点は評価すべきポイント。広大な国土には必要不可欠な要素だ。
↑[取材車は走行距離3万マイル程度で、「買ったけどあまり乗らない」という状況の起きにくいであろう社会主義国の車としては極上のコンディションと言える。]
運転席に移る。少々狭い感じはあるが、ドライビングポジションは決して悪くは無い。車内にはきちんとエアコンとラジオが装備され、当時の世界基準でも決して劣っていない。
ルーンは12年もの間製造されているが、その間に行われたモデルチェンジは僅か3回。しかも、エンジンのラインナップを1.3ℓ、1.5ℓに増やし、リアサスペンションをマクファーソン式に変えただけという潔さだ。余程苦情が入らないほどよく出来た車だったのか、苦情が入らないシステムだったのかは定かではないが、何にせよパーツの互換性という点では非常に優れている。
ちなみに、ソビエトにフルモデルチェンジという言葉は無いらしく、チェブレックの後継モデルにあたる車も名前以外はほとんど変わっていないというから驚きだ。
発進してみよう。直列4気筒OHVのエンジンは、少々大きめだがなかなか気持ちいい音を出してくれる。国土が広い国では車の故障がすなわち死を意味するような場所も多く、それ故にアメリカ車はパーツどうしのクリアランスに余裕を持たされている事が多いが、ソビエト製の車も同じであるようだ。アメリカと同じように、エンジンは手入れと修理のしやすいOHVがマストで、同じメーカー内の車なら互換性のあるパーツもかなり多く使われている。
ギアを2速、3速と上げていく。癖のあるシビアなクラッチと重いステアリング、ホールド性の低いフラットなシートは同年代の安価な欧州製小型車と特に差はない。DIY感覚で改造できるため欧州では草ラリーのベース車両としても人気だという。確かに車体が安価であるし、手製のロールバーやサードパーティのバケットシートなんか取り付けて、めちゃめちゃに走り回ると楽しそうだ。
軽快に吹きあがるが少々伸びないエンジン。ロール量多めのRV風味の味付けがされた足回りと相まって、都市郊外の悪路でも柔軟に走り回れそうな印象を持つが、ハイウェイや大通りではそのパワー不足感が顔を出す。周りの車の速度帯に乗る頃には、エンジンはかなり辛そうな声を上げている。このモデルは最も初期のラインの1.2ℓエンジンが積まれているが、このパワー不足を解消するため、マイナーチェンジでのエンジンのパワーアップであることは明白だ。この真四角のボディが、真正面からの風圧で押し返されている感覚ももろに感じる。軽くて背の高い車体は横風で左右に揺すられ、立て付けの甘めなパネルからは風の音が聞こえる。よくわかった。この車はアメリカにあまり適していない…
総評
さて、長らく謎のベールに包まれていた東側諸国の自動車を取り上げた媒体はかなり少なく、今回取材するにあたっての情報収集にはかなり時間がかかった。取材車を提供してくれたSimons氏もその点かなり苦労しているよう。「こないだピカピカのチェブレックのカタログを手に入れたんだが、最初から最後までさっぱり読めないんだ。」
各国の自動車にはその国特有の道路事情や国民性、消費者の求めるモノが強く反映されている。我が国産車は大柄でハイパワー、ドイツ車は精密な作業が光り、イタリア・フランスは病的なほどオシャレさを求めるし、日本の車は小さくて壊れにくい…
今回取材したチェブレックは、長年西側諸国から鉄のカーテン越しには見ることができず、こちら側に正体を現してくれたのはつい最近のことである。世界中が緊張感に包まれていた冷戦時代の、こちら側からは悪の帝王にすら映った旧ソビエト連邦の自動車は、社会主義の名の元に自動車の最もシンプルな、それでいて最も重要なセクションをきちんと押さえた実用的なモノであった。飾らない質実剛健なそのセオリーを持った車は、人によっては最も美しく感じることだろう。正直、社会主義に抑圧された国の質の悪い小型車だろうと高を括り、散々こき下ろすつもりでチェブレックに挑んだ筆者だが、自分を恥じる結果になってしまった。見た目だけ洒落ていて性能がグズグズだったり、先進的な技術を煮詰めきらず突貫工事で載せ、リコール地獄を味わったような車は世界中にたくさんある。あまりにも自動車市場が激戦化することによる副作用は、時に“本当に良い車とは”というモノサシを狂わせるのだ。
優劣の話ではない。こちらが何を重視して、あちらが何を重視したのかというだけの違いでしかないのだ。きっとこの車には、世界史の教科書にも載っていない当時のソビエトの姿がある。
しかし、カーテンが開かれて30年が経つ現在、チェブレックを初めとしたソビエト製自動車はロシア本土でも見かけることは稀になったという。大衆車は同じくコンパクトで故障の少ない日本車に軒並み入れ替わり、高級車はベネファクターやウーバーマフトなどが公用車として使われているのをよく目にする。悪路の多い郊外ではパワフルなアメリカ製RVが人気で、トラックも皆日本製かスウェーデン製のものにシェアを奪われた。
その長い歴史を持つソビエト製国民向け乗用車の最期は、ソビエトの崩壊のようにあっけないものであった。