Vol.16 アメリカ車改革の狂言回し -1978 Imponte Ruiner "Phoenix"-
インポンテ ルイナー フェニックス
今は亡き名ブランド“インポンテ”
インポンテというメーカーをご存知だろうか(ここの読者はほとんど知っているだろうが。)?1926年に創立され、北米最大手自動車メーカー・デクラスとのグループ提携を経て、若者向けの安価でスポーティな車を精力的に世に送り出し続け2010年にデクラス社の経営不振により消滅したメーカーである。
その企業コンセプトはまさにポニーカーメーカーそのものであり、あまり値が張らず、かっこよく、性能も高いという若者が最も愛車に求める要望を重視した商品展開が特徴。デクラス社は共にグループ提携先であるアルバニー社をグループ内での最高位メーカーと位置付け、それと対照的に若年層の顧客を取り込むブランドとしてインポンテ社を位置付けたわけである。
デクラス社は様々な車種のプラットフォームをインポンテ社に提供し、それらはインポンテ社によって味付けされ、ひと味違う仕様を持つ姉妹車として市場に登場した。その中でも特に人気を博したのが、既にデクラス社で絶大な人気を博していた小型スポーティクーペ「ヴィゲーロ」の姉妹車「ルイナー」である。
↑[初代ルイナー。フェイスリフト以外は概ねヴィゲーロのそれであるが、装備の多少の簡略化や標準でのマニュアルトランスミッション搭載によって価格を抑え、若者でも手が届く存在だった。]
今回紹介するのはその2代目にあたる代から誕生した、ストックカーレース参戦を念頭に置いて開発されたハイパフォーマンスパッケージ“フェニックス”の78年製モデルである。
基本的なスペック
ボディタイプ:2ドアクーペ
駆動方式:FR
乗車定員:4名
エンジン:305cuin V8 OHV(180ps), Declasse 400cuin V8 OHV(205ps), Imponte 403cuin V8 OHV(220ps)
変速機:3速AT/4速MT
サスペンション:前 ダブルウィッシュボーン、後 リジットアクスル
ホイールベース:2,750mm
全長:5,005mm
全幅:1,870mm
ヨーロピアンデザインの先駆け
当サイトではこれまで多くの古き良き国産車を紹介してきたが、ルイナーフェニックス(以下フェニックス)ほど熱烈なファンがいる車もそうそういない。1967年に生まれ1971年にこの代にフルモデルチェンジし、1982年に3代目にフルモデルチェンジするまでにかなり頻繁なマイナーチェンジを繰り返している。用意されたエンジンはのべ14種類にものぼり、フェイスリフトも5回に渡り大幅な変更を経、その一つひとつに熱心なファンがついている。
その中でも特に有名なのは、他のマッスルカーと一線を画すシャープなフォルムに強烈なゴールドのストライプが眩しいこの1978年モデルであろう。
このモデル自体はその強烈なルックスに反してカタログ上のスペックはかなり控えめである。2代目フェニックス初期の1971〜74年製モデルは最大で455cuin(7.5ℓ)のエンジンを選択でき、そのパワーは570psにまで達し、自他ともに認める最強のピュア・マッスルカーとして国内のストックカーレースで暴れ回っていた。
しかし他のマッスルカー達がそうであったように、当然のごとくオイルショック&不景気の影響をもろに受け、74年以降は100psの直列6気筒エンジンすらカタログに並ぶようになる。かつての「フェニックス」の名に恥じない派手で豪快な走りの面影は無く、「死にかけの不死鳥」などと揶揄されることもあった。
しかし、時代の流れに簡単に飲み込まれることを誰よりも望まなかったのが“レース屋”であるインポンテ社の開発チーム自身である。
チームはまず、従来の肉厚なボディにスパルタンなスタイルを重視したコークボトルボディ、バッサリとソウドオフされたように切り立ったフェイスリフトを捨て、デザインの理想をヨーロッパのスポーツカーに当てはめた。
全高がぐっと低く抑えられ、空力を重視した流線形のボディに実用的なエアロパーツ、シャープなノーズを持つフェイス。ベースとなるデクラスのヴィゲーロのプラットフォームと、当時のアメリカのコロコロ変わる自動車保安基準ギリギリを攻めに攻め、出来うる限りのヨーロピアンデザインを落とし込み誕生した78年製フェニックスは、発表と同時にアメリカ自動車業界に衝撃を走らせる。
↑[楔型に突出したフロントグリル・通称「イーグルマスク」は空力に多大な好影響を及ぼし、従来の切り立ったフェイスを過去のものとした。また保安基準により装着を義務化された所謂「5マイルバンパー」も違和感なくエアロパーツの一部として馴染んでいる。]
それまでの国産車よりもうんと薄手に仕立てられたフロントカウルはエアインテークの配置を工夫し生まれたもので、従来と違い下向きに傾けて配置されている。現代のスポーツカー等では極当たり前のように採用されている配置だが、当時は吸気効率や冷却効率の面から採用される例は少なかった。
フロントウィンドウの角度も64°とかなり寝ており、1,300mm弱の低い全高と相まって、まるでグロッティ等のスーパースポーツに乗っているような感覚をオーナーに味わせた。
それまであまり重要視されていなかったエアロパーツ類もふんだんに採り入れられており、特に車体下部に空気が流れ込み車体が押し上がることを防ぐ、前後輪のフェンダー前部にある特徴的なカナードは見る者に衝撃を与えた。巨大なダックテールフィンも、あくまでアクセサリーとして装着されていた他のモデルとは違い、きちんと空気力学に基づいた実戦向けの装備である。
↑[5スポークのマグナムホイールが主流の時代に、欧州ツーリングカーさながらのゴールドのメッシュホイールはかなり目立った。手入れはその分大変だが…]
限界までトップ部を車体前方向に配置されたファストバックスタイルのリアウインドウ部は、当初2シーターを予定されていたためである。しかし当時のデクラス社のフラッグシップモデルのスーパースポーツ「コケット」が2シーターであり、競合することを懸念したデクラス社によりリアシートの設置を指示された事による名残である。要するにリアシートは使い物にならないほど居住性が悪い。一応大人ふたりが両膝が耳に着くほど足を曲げれば座ることができる(その二人はとても仲良しである必要があるが)。
↑[外から見てこの車が4人乗りだと思う人はどれくらいいるのだろうか?]
エンジンのカタログ展開がやや特殊であり、305か403のV8以外にも、サンアンドレアス州及び高地仕様に、インポンテ社製のものより圧縮比が高く、トルクバンドの扱いやすいデクラス社製4バレルキャブレター付400cuin(6.6ℓ)エンジンが用意された。この車は産まれてすぐサンアンドレアスのディーラーに並んだため、当然その400cuin V8が搭載されている。キャブレター直結の大型のエアインテーク・通称「ラムエア」が豪快にボンネットを突き破り配置されている。(吸入口が前ではなく後ろにあるのは、空気力学において最も車体前部で風圧が高くなるのがフロントウインドウとボンネットの間であるためである。)
その見た目からいかにもとんでもないエンジンが載せられているような印象を持つ。
──事実、これらのエンジンはあくまでデチューンされたものであり、セットアップといくつかのパーツを替えるだけでいとも簡単にレース仕様の500ps以上のパワーを取り戻させることができる。インポンテ社の時代へ対する全力の抵抗なのだろう…
↑[大袈裟なほど上向きのエキゾーストは当時からしても時代遅れのものだった。排気ガスは敵だという世論が漂い始めた頃はエキゾーストを隠すか、下に向けるデザインが流行ったものだ。]
実際に乗ってみた
実走に入る。フェニックスはハイパフォーマンスパッケージではあったものの無印のルイナーの何倍もの注目度があり、78年製だけで19万台近く生産されている。しかし、インポンテブランドの消滅を迎え既に8年、オーナーの多くは予備パーツの不足を実感することが増えてきたという。特にサンアンドレアス他高地向けディーラー車にのみ搭載されていたデクラス製400cuinエンジンはタマ数自体が少ないため、他の車種に載っている同一の物を探し当てる知識も必要になってくる。
今回の取材車はそのインパクトあるゴールドのストライプに加え、オプション装備であったTバールーフを備えた豪華仕様だ。
ルーフの中央部を除く左右のほとんどが透明なグラスルーフになっており、取り外すことも出来る。俗に言うコンバーチブルと違い、ボディ剛性を確保できる反面、車体重量の増加を招くため現代の車にはほとんど採用されていないこの時代特有のモノだ。
分厚く長いドアを開け、車内へ。
内装はレーシーなビニールレザー製バケットシートに、センターにエンブレムの光る同じくビニールレザー製3スポークのステアリング。姉妹車のヴィゲーロはオプション装備としてバケットシートを用意していたが、フェニックスはバケットシート以外を選択することはできない。座り心地は悪くないが、(経年劣化もあるだろうが)かなりクッションが固めな印象がある。特に背面はかなりソリッドで、しっかりとホールドされている感触。
エンジン始動。
車体全体を微かに揺らす程のサイクルがボンネット下で激しく繰り広げられる。当時殆どのライバル車がオートマチックを採用していた中、あえてマニュアルでレーシーさを狙ったフェニックス。クラッチは重く、シビアで踏むのを躊躇われるほど。「お前らのはアクセルとブレーキだけか?俺はこんなムズカシイ車を平気で乗り回せるのさ」なんて、当時の若者には充分すぎるステータスだろう。
走行場所が郊外の山間部であったため、この車のひと癖ある乗り味にコテンパンにやられたのは言うまでもなく、何よりアクセルワークに気を遣う。200psなんてのはよそ行きのカタログ上での数値でしかなく、このエンジンはその気になればいとも簡単にレース仕様と同じパワーを吐き出すシロモノだ。あっという間にレッドゾーンに突入するタコメーターの針、慌ててクラッチを蹴るも上手く繋がらずあたふた。
数回前に取材したBF ラプターは最初の恐怖心を克服すれば最高に楽しい乗り物になったが、この車はどうか?早いとこ慣れなければ。
散々空力に特化したエアロパーツがどうのこうのという話をしてきたが、それはあくまで当時の基準での話であり、現代の基準から見ると全くもってコーナリング性能に秀でているわけではない。何より車重がかなり重く、ピーキーなトルクは些細なコーナーでも時折ヒヤリとさせてくれる。顔色を伺うようにギアチェンジをする事には少しばかり慣れてきたが、減速→シフトダウン→コーナリング→加速の一連の動作のテンポ(特にクラッチ)が狂うと、たちまちリアバンパーがフロントバンパーを追い越そうとしてくる。この代から姉であるヴィゲーロにレースで歯が立たなくなったと言うが、コーナーの多いサーキットでは遥かに身軽なヴィゲーロに軍配が上がるのは当然だと感じた。
フィールドをハイウェイに移そう。
フェニックスの尽きることの無いトレードマークの一つにラムエアエンジンが挙げられる。ラムエアとは航空機由来の技術をインポンテ社が自動車に取り入れ商標化したもので、その仕組みは極めてシンプル。車体前部やボンネット上に設置された吸入口が走行中に正面から吹き付ける空気を吸い込み、エンジン熱で加熱される前にキャブレターに直接大量の酸素を吸い込ませるいうモノである。
つまりは車体が速く前進すればする程に効率良くエンジンが吸気する事になり、事実上はエンジンの許容範囲内であれば無尽蔵にパワーを上げることができる。
───最も、性能の限界を突き詰めるには排熱や耐久性の面で分厚い障壁があり、また根本的に航空機の様にある程度の速度で走り続けなければ満足な効果は得られないため、ある意味アイコンとしての存在価値が大きいと言える。ただ、長時間安定した速度で走り、突発的にハイパワーを発揮するシーンのある使い道…例えばサーキットで行われるレースに使用されるペースカーや、高速パトロールカー等のベースにはかなり持ってこいなシステムなため、実際によく採用されていた。
ハイウェイでの走りは安定の一言。1,900mm弱の横幅に対してホイールベースが長く、直進安定性に優れている。適度に引き締められた足回りはギャップで無駄に跳ねることは無いが、かといってコーナリングでしっかり踏ん張る程でもない微妙な味付け。極端なプロ意識を持たないところがポニーカーらしくて好きだ。
4速3,500rpm前後での高速クルージングがなんとも心地よい。古い国産車はみな街中をゆったり流すのに適しているモノが多かった印象だが、フェニックスは完全にハイウェイ向けだ。粒の粗いエキゾースト音は大きいものの不快な物ではなく、これぞマッスルカー!といった心地よいサウンド。
ただ、この年代製国産車の例に漏れず熱関係のトラブルと常に隣り合わせであり、ルイナーはそのフェイスリフトが故に特に気を遣う。従来の切り立ったフェイスとは違いエアインテークをフロント下部に斜めに配置しているのだが、従来のような正面に垂直に配置されているものよりも吸気効率に難があり、エアダムが破損しようものならどれだけ飛ばしても一向にエンジンが冷えない悪夢が待っている。そうでなくても炎天下のもと渋滞にでも巻き込まれたらひとたまりもない。
だがそのトルク感と重量感のバランスはアクセルを踏み続けたくなるような爽快感に溢れている。
地平線まで続くハイウェイを、ルーフを外して風を浴びながら突き進んで行くなら、この車しかない。
パーキングエリアに寄ってエンジンと頭を冷やしつつ、のんびりとどこまでも行こう。
総評
さて、これまでこのサイトでは様々な古い国産車を紹介してきたが、ルイナーフェニックスはその中でも特筆してアメリカ自動車史における狂言回し的存在だと感じた。自動車は大きく分けると北米、日本、欧州の3地域でそれぞれに特徴ある発展の仕方を遂げ、特に気候も国土も大きく異なる欧州市場と北米市場は2000年代に突入して以降も互いにコンセプトの大きく違う存在として影響し合うことを暗黙的に避けていた傾向があると感じる。
しかし、実に40年も前に生まれたマッスルカーが率先的に欧州製スポーツカーのテイストを取り込み、数々の制約に縛られながらそれをアメリカ自動車業界にマッチするよう落とし込んだ功績はあまりにも偉大だ。事実、この代のルイナー以降の国産2ドアクーペは一斉にヨーロピアンテイストの流線形デザインに傾倒していき、2005年製ヴァピッド ドミネーターによるリバイバルデザイン勃興までその形態が続くことになる。
ちなみに1979年の最後のマイナーチェンジを経てフェニックスにはターボエンジンが採用されるが、国内でのターボ搭載もかなり先駆けたものであった。
↑[1982年製の3代目フェニックス。風洞実験による空力特化のシャープなフォルムに305cuinターボ付V8搭載で、“ターボバード”の愛称で呼ばれた。]
“若者向けブランド”の象徴であったインポンテ社はその挑戦的な開発姿勢も血気盛んな若者そのもののようなメーカーであった。胴元のデクラス社に口出しされ、保安基準に縛られ、環境保護団体から叩かれながらもリスクを恐れず率先して様々なアイデアを採り入れ生み出されたそのエネルギー溢れる名車たちは、いつの時代もアメリカ自動車業界に影響を与え続けた。
最後まで刺激的なラインナップを市場に投入し続けたインポンテ社は、絶え間なく移ろい続ける世界情勢に無残に飲み込まれ、2010年にデクラス社よりブランド消滅を発表されその84年もの歴史に幕を閉じる。
恐らくこんなメーカーはもう現れない。自動車開発に対するパッショナブルな姿勢を持った素晴らしいインポンテ社の存在を、アメリカ、否世界中の自動車メーカーは決して忘れてはならない。