Vol.20 極限を纏った8リッターの怪物 -1994 Bravado Banshee-
ブラヴァド バンシー
コケットに追いつき追い越せ
前回のコケット編でも述べたように、今回はある意味前編・後編といった構成に近い記事だと捉えていただけたらと思う。据えるテーマは前回から引き続き「アメリカ製スポーツカーとは」といった趣のモノだろうか。
今回紹介する車はブラヴァド・バンシーである。
ありとあらゆる個性を詰め込んだメーカー・ブランドが乱立しせめぎ合うアメリカ自動車業界、それぞれ好き嫌いはあるだろうが、ブラヴァド社を好む層は概ね「パワー主義者」なオーナーが多いというのは筆者の偏見だろうか?あなたの周りのブラヴァドオーナーを思い浮かべて欲しい。
ブラヴァド社は1914年に設立された非常に小規模な自動車メーカーだった。1928年に当時から現在までアメリカ自動車業界の中心となるビッグ3、「デクラス・ヴァピッド・シャイスター」の一角、シャイスターに買収されその一部門となった。
1960年代からのベビーブーマー向けポニーカーと、それを源流とするマッスルカーブームの真っ只中。デクラス社が持ち出した若者向けのスポーティーで安価なブランド・インポンテへのシャイスター側からの当て馬として、その時期からハイパワーでスペシャリティな車をリリースするブランドとして、ブラヴァドは地位を確立していく。
ただ、単にデクラスから流れてきたプラットフォームをチープにしパワーを上乗せしただけのインポンテ社の車よりも、シャイスター社製プラットフォームをそこそこの価格で上質なハイパフォーマンスカーに仕立て上げたブラヴァドの車は、販売台数こそ当時のシャイスターを満足させられた物は多くないものの、モータースポーツの世界ではかなりの勝ち星を上げていることは特筆すべき点。アメリカを代表するレーシングドライバー・リッチー“キング”ペティも、鮮やかなペティ・ブルーに彩られ、巨大なスポイラーを備えたブラヴァド製マシンで国内モータースポーツシーンに伝説を残していることは今更言うまでもないだろう。
[↑リッチー“キング”ペティ。アメリカモータースポーツシーンに、空力という概念を持ち込んだ第一人者である。]
──だが、国内のストックカーレースで敵なしのブラヴァドにも、一つだけ手にしたことの無いモノがあった。
「スポーツカー」という名誉である。
既に一級品の、唯一のアメリカ製スポーツカーとして国内外に名を轟かせていたデクラス製ピュアスポーツカー・コケット。ヴァピッドが50年代にほんの数年、対抗馬としてペヨーテを販売したのみで、以降国内では市販の国産スポーツカーはコケットの独壇場である。
既にハイパフォーマンスカーブランドとしての評価、そして北米No.1の売り上げを誇るベストセラーピックアップトラックの「バイソン」を抱えるブラヴァドは、次なる目標を「アメリカ第2のスポーツカーを造り上げ、さらにコケットを打ち破る」事に設定する。
コケットさえ仕留めれば、ブラヴァドはきっとまた“キング”になれる──。
[↑1990年に発表されたコンセプトモデル「BM-10」]
ブラヴァドにはノウハウも経験も無かった。かねてより親元のシャイスターはモータースポーツに消極的であり、また70年代のストックカーレースでクーペの車体前後にスポイラーを装着したマシンがキングに君臨したのもかつての栄光で、レギュレーションが厳しくなるにつれ成績も平々凡々もいいところ。
そこで白羽の矢が立ったのが、当時シャイスターグループ傘下であったイタリアの雄、ペガッシである(そんな時代もあったのだな……)。
心臓部は、ブラヴァド社を代表するモデルであるピックアップトラックのバイソンシリーズ、その中でも最もヘビーデューティーに特化したモデル「バイソン HD10」に搭載されていたV型10気筒エンジンをペガッシに送り、そっくりそのままエンジンブロックをアルミニウムで作り替えるという大胆なチョイス。純正の市販車としては最大級の8ℓ近い排気量を誇る450psの強心臓と6速MT、ペガッシのエンジンと足回り、前後重量比48:52のFRPモノコックボディが組み合わされた、2シーターのピュアスポーツカーと相成ったわけである。
1990年にコンセプトモデル「BM-10」が発表されると、たちまち全世界で話題になる。そして驚くことに、ブラヴァドは大部分に手をつけずその後一年足らずでそれを市販化してしまう。
──名を「バンシー」。かつて帝王・グロッティをねじ伏せ、ヨーロッパ中のスポーツカーメーカーを震え上がらせた伝説のアメリカ製チューニングカー「マンバ」を彷彿とさせるその佇まいに、世界中のメーカーは固唾を飲んだ事だろう。無論、デクラスもだ。
基本的なスペック
販売期間:1991〜2002年
乗車定員:2名
エンジン:7.9ℓ V10 OHV
最高出力:450ps
駆動方式:FR
トランスミッション:6速MT
サスペンション:前後ダブルウィッシュボーン
全長:4,490mm
全幅:1,980mm
全高:1,190mm
ホイールベース:2,440mm
車体重量:1,590kg
あまりにも特異な存在
だが一体なんなのだろうか、「バンシーはスポーツカーだ」と胸を張って口にする事に、筆者は少なからず抵抗があるのだ。
流線形のスタイルに空力に特化したグラマラスなフェンダー、1.2m弱の全高にれっきとした2シーター…どこにもスポーツカーとしての存在を否定できる要素などないはずなのである。が、しかし。
はばからず口にしてしまえば、この車、「あまりにも振り切りすぎている」のである。
あのコケットにあった…いや、あらゆる世界中のピュアスポーツカーに共通した、「極限まで切り詰められた上で、尚余裕のある佇まい」のような存在感が皆無なのである。簡単に言うと、『こんなにピリピリしている車を、私は他に知らない。』
[↑表情は数多のスポーツカーの中でもかなり柔和な印象なのだが、「いつでもお前に噛み付く準備はできているぞ」とでも言いたげな、俄然近付き難いピリピリ感を感じるのだ。]
その、近づくだけで胃を締め上げ、背筋に嫌な汗をかかせるピリピリの原因は何なのか、はっきりとはわからないが、これがデクラス社以外のアメリカ自動車メーカーの作ったスポーツカーの持ちうるものだという線は否定し難い。もしヴァピッドもあのままペヨーテをピュアスポーツカーにしていたら、インポンテにもコケットのプラットフォームを供給していたら、生まれてきた車は、同じようなピリピリ感を持っていたのではないだろうか。不安定で、狂気的で、気難しそうな。
デクラスは余りにも器用過ぎて、コケットは余りにもスポーツカー過ぎるのだろう。
ガスタービンエンジンを積んでいないだけまだマトモな車だと言えるか。
[↑この車には倫理観や常識のようなモノがかなり足りておらず、結果それが唯一無二の存在感を発揮し、今日までオーナー達を魅了している。堂々とサイドから突き出し靴を焦がすエキゾーストと、フロントフェンダー後部にバックリ開けられた放熱用のスリットがまさにそれを体現している。]
で、それが振り切れると、不思議なことにスポーツカーはグッとマッスルカーに近付くのである。嗚呼、アメリカ製スポーツカーは結局マッスルカーの血筋からは逃れられないと言うのだろうか。
もっぱら、バンシーは「究極のマッスルカー」とでも言えるような特異な存在なのかもしれない。
──恐ろしいことに、スポーツカーにある「存在としての限界」が、マッスルカーには無いのだ。突飛なコンセプトやなりふり構わないやり方に、口を挟んでくるヨーロッパ人はいないのだから。
実際に乗ってみた
正直、この車についてあれこれ文章で伝える事に関しては、筆者は諦めているフシがある。
取材する事が決定した際、前情報を仕入れる為に様々な媒体の記事に軽く目を通したが、バンシーほどインプレッションの表現がピンと来ない車も無い。
羅列された「荒削り」「ワイルド」「野蛮」という決してポジティブな意味ではないであろうワードの数々は、端から貶すために用意された物ではなく、さながら「とりあえずそれらをあてがってお茶を濁した」とでも言いたげな佇まいで並んでいた。要するにドライブフィールを言葉で説明する事の難易度が非常に高い車なのであろう。我々モータージャーナリストの世界には、しばしばそういった車が現れて頭を悩ませてくる。
[↑フロントミッドにバカでかいV10が押し込まれているノーズは圧巻の長さ。ホワイトのストライプが走る鮮やかなブルーもまたマンバの趣を感じさせてくれる。外側1灯ずつに無理矢理押し込まれたウインカーはアメリカ国内ですら州によって(無論LSも)保安基準に適合しない場合があるため、追加のウインカーを装着されていないこの個体はかなりレア。]
「↑立ちこめるガソリンの匂いと禍々しい気を放つ巨大な真紅のV10。この車の心臓にしてブラヴァドのシンボルだ。」
以外にもドアノブではなく電子ロック式。ピラー部のスイッチかリモコンキーを押すとバコっとドアが開く(ここ故障したら乗れなくなるよなぁ)。
腰をグッと折り曲げ側頭部をルーフにこすりながらコクピットに身を投じる。簡素なダッシュボードに、カーボン調パネルに並ぶ様々なメーター。
はっきり言って内装の質感はかなりチープなのだ。新車販売価格はコケットより高い$110,000、恐らく他の車体からの流用パーツもほとんどないだろうから、どうせならブラウンのレザーやウッドパネル等でスペシャリティな一面も持たせたくなる(実際、2代目からそうなっている)のが自動車メーカー心理と言うものだろうが、この車からそんな気概は一切感じられない。「とりあえず座ってハンドルが握れればいいんだ」──メーカーがそんな事はさすがに嘯きはできないだろうが、それでもオーナーは許してしまうだろう。
後付けされた、肩身の狭そうなドリンクホルダーがそれを物語っている。
[↑ドアシル部に何やら注意書きが。「アツアツのエキゾーストパイプがこの下を通っているため、乗り降りの際触れないようご注意下さい。」…]
この車のステアリングにはチルト調整機能はついておらず、代わりにABCペダルの位置調整ができるようになっている。が、調整ダイヤルはダッシュボード下の奥の奥にあるため、シートに腰掛けたまま回そうとすれば頭でクラクションを鳴らしてしまう。
オーナーなら一度しっかりと位置を決めてしまえば当分いじくることは無いだろうが、今回筆者がこの車のペダル位置を動かしてしまったがために、このバンシーのオーナーは再び自分好みの位置に直さなければならないのだ。なんとも申し訳ない……
エンジンをかける。
[↑OHVエンジンにしてレッドゾーンは7200rpmという高さなのも不思議な話だが、「6000rpm位でシフトアップした方が断然速い」(オーナー談)]
今まで当サイトでさまざまな車をご紹介してきたが、起床一発目の咆哮の迫力はバンシーがダントツ。冷えたV10に火を入れることの大仕事っぷりを窺わせる。もし通勤で乗る勇気があるのなら多忙なビジネスマンに最適だ。寝ぼけ頭で乗り込んでもこの音量なら一発で目が覚めることだろう。
クラッチを踏み込んでミートを…と思ったが、左足が乗ったのはブレーキ……。驚くことに、この車は適切なドライビングポジションをとった場合、車体の軸に対して体がわずかに左を向くようになっているらしい。数多のスポーツカーに乗ってきたKyle Evans記者いわく、そんなのは決して珍しい事ではないと言うが……
確かに、エンジンがバカでかいならギアボックスもバカでかくて当然か。ドライバーへの配慮や親切が欠けている点もこの車の魅力のひとつだなんて事は、筆者はとっくに気づいていた。
ブラヴァド社営業部の方が用意してくれた港湾施設付近の社有地でウォーミングアップ。いきなり公道に出てもまともなインプレッションができる気がしないのだ。
本当なら今までの取材車全てこうしてから公道に出たかったというのが本音である。初めて乗る車は、限界性能の氷山の一角だけでも見ておくというのは非常に理想的なレビューへの下準備だ。
まず最初に驚いたことは、その強大すぎるトルクゆえ、クラッチがミートに入った途端アイドリングのみで車体がグイグイ前に進んでいくことである!駐車場での慎重な移動の際など、アクセルを踏むことなくブレーキ操作のみで全てが完結してしまえるのではないだろうか。
100メートル程度のストレートでさえアクセルを踏み込めば一瞬でタコメーターの針がレッドゾーンに突入していく。唸りを上げるV10は車体をグイグイ引っ張り脂汗を滲ませるほどのGを体感させてくれた。
ビービー喚くABS*をBGM代わりに、そそっかしくブレーキングしコーナーに鼻先を突っ込ませようとじたばたステアリングを振る。
*ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)…ブレーキ時にタイヤがロックし、滑る事を抑制する電子制御システム。とりわけ90年代以降の普通乗用車には当たり前のように装備されている。ちなみに第1ロット(発売から1年以内)のバンシーには搭載されていなかった。なんてこった…
ドライブフィールにも慣れ、そこそこの車速でコースを周れるようになった時に事件が。
約300メートルストレート後のコーナーでブレーキング時、なんとABSが作動せずタイヤがロック…!四輪から盛大に白煙を立ち上げ、あわやクラッシュ寸前。
一瞬の出来事であったが、古い車に乗った経験だけは豊富な筆者、なんとか冷静にブレーキを戻しタイヤを路面に食いつかせる。寿命が縮んだと同時に、この時代の国産車の電子制御システムが如何にいい加減かを体感出来た。公道でなくて本当によかった…
[↑ここで慌てて更にブレーキを踏み込もうものなら今頃病院のベッドの上で保険会社の書類にサインしていた事だろう。筆者はABSの無い時代の車に乗っていた経験があったため対応できたが、そうでないドライバーは……]
一息つき、いざ、公道へ。
港湾施設すぐの乗り口からハイウェイに合流。
コケットより体感、視点が低く感じるのは気のせいだろうか、たった40マイル出すのにも手に汗が滲む。何だかやってはいけないことをやっているような気になり勝手に動悸が速まる。なあ勘弁してくれないか。
ウォーミングアップでも感じたが、こんなにも巨大なエンジンが乗っているのにも関わらずこの車の前後重量比は驚きの48:52。ハンドリングに非常にシャープに反応するノーズは、RRレイアウトでリアが重いフィスター等とそう遠くないニュアンスを感じさせる。
神経質で繊細な同年代のフィスターよりも多少はおおらかで気前の良い素振りを見せるが、少しでも心を許された気になってアバウトなタッチで接すると豪快に突き飛ばされる。油断してはならない。ステアリングから右手を離していいのはシフトチェンジの2秒間だけだ。それ以上は保証できない。
[↑追い越し車線を我が物顔で爆走。その実、ステアリングは手汗でビショビショである。]
この車にはシフトブロック機能が備わっており、停車時から発進した際に2速ゲートが閉じ、4速にスキップシフトさせようとしてくる。理由はもちろん、燃費の向上とエンジンノイズの低減だろう。
では本気で走りたいときに2速に入れるにはどうすれば?どうやら、車速が19-20マイルぐらいでかつ水温41度以上でスロットル開度が23%以下だと、
2速と3速に入りづらくするようにソレノイドかなんかを動かしているらしい。だから、例えば「車が動き出したらすぐに2速に入れてしまう」、逆に「シフトブロックが解除されるまで1速で引っ張る」という方法で、1速から2速へとシフトできるわけだ。
ただでさえ信頼性に欠ける電子部品だらけな上まどろっこしい存在としてバンシーオーナー達から忌み嫌われ、その多くはこの機能を殺してしまうらしい。それが残されているこの個体はその点希少だ。
とにかく気持ちいい。
足元からエンジンの熱気が染み出してくるし、体が少しだけ左を向いているのも気味が悪いし、あちこちがビキビキうるさい。だが、その恐怖や違和感ですら、この車を真っ直ぐ走らせる爽快感のほんのスパイスにしかならない。時速60マイルが100マイルにも200マイルにも感じられ、まるでこのハイウェイがバンシー専用の道のように錯覚する。
稚拙な表現だが、どこまでも走っていけそうな気がする。
正直気乗りしないが、ハイウェイを下りて郊外の林道へ繰り出す。
エンジンブレーキは1速以外無いようなもので、下りはかなりヒヤヒヤさせられる。フェードさせないよう顔色を伺いながらちまちまブレーキを踏む。
ザンクードを見下ろしながら峠をしばし遁走。ふと気付いたのだが、恐ろしいことに、自分が今何速に入れて走っているのか時々わからなくなることがあるのだ。
原因は2つ。このHパターンのシフトが、同年代製スポーツカーの内で類を見ないほど横幅が狭く、2速のつもりが4速に、3速のつもりが5速に入ってしまうこと。そして余りにも強大なトルクが故に、多少の登り坂でも2速だろうが4速だろうが一切支障なく車体が前進することである。
前者はバンシーオーナーの界隈ではメジャーな話題らしく、「一度手にすると(物理的な意味で)バンシー以外の車に乗れなくなる」と言ったジョークのひとつに挙げられる。
で、後者なのだが、本当に4速だけでどこまでも走れてしまう。太いトルクはシフトチェンジの回数を減らし、手間が減るとドライバーが感じるストレスは減る。
余談だが、まだ技術が未熟な頃、乗員にとってオートマチックトランスミッションのギアショックや高回転域のエンジンノイズは大きなストレスだった。そこでアメリカ製の自動車達はトルクを増し、1990年代に至るまでオートマチック車のギア数を3速以上増やさないように心がけていたという事に繋がってくる話でもある。
グロッティが手がけた足回りは非常に秀逸で、ブラヴァドが長い年月をかけて開発したバンシーのXブレーシングフレームにベストマッチな味付けなのではないだろうか。前後ダブルウィッシュボーンと構造上では取り立てて独創的なシステムではないものの、それまで同社で推奨されてきたグランツーリスモ(長距離走行特化の高性能車)志向の物とは一線を画すストイックでレーシーなセッティングは、当時コケットよりも遥かに優れていると評された。
アクセルを煽りさえしなければ素人同然の筆者でもまるでレーシングカーを操っているような感覚に陥らせてくれる。
全輪がガッチリと路面を掴み、思い描いたラインを外れることなくスーッとコーナーをなぞっていく感覚に思わずドーパミンが溢れてしまう。だがそこで調子に乗れば一巻の終わりだ。後輪が運転席をアウトから追い越し、逆ハンドルでカウンターを当てようがブレーキを床まで踏もうがもうバンシーは君のパートナーではない。
総評
さて、散々言っておきながら結局コケットとの比較じみた件が散見された事については申し訳なさを感じている次第である。それ程までに、アメリカにおけるスポーツカーというカテゴライズは貴重で比重が大きい物なのだ。
正直どちらも性能の面では大きな差はないと感じる。比較というかなんと言うか、と言った話であるが、両者の大きな違いはズバリ「どれ程ドライバーに寄り添ってくれるか」に尽きると思う。
50年代から現在に至るまで最上のスポーツカーを追及し続けてきた歴史あるコケットは、当然世界中のスポーツカーのアレコレを採り入れ、モータースポーツの経験をストリートに昇華させたコンセプトを注いだ作品である。大は小を兼ね、究極は平凡を兼ねる。圧倒的なパフォーマンスを誇りながら、常にドライバーが求める最善の走りをあくまでストリートで発揮する事を重視したその存在は、大衆車メーカーとしてトップに君臨し続けるデクラスの在り方を存分に反映させた“究極の市販車”だと言えよう。
対するバンシーは、はっきり言ってスポーツカー競走への参加は大きく遅れをとった誕生である上、ヨーロッパ系統のモータースポーツへの経験も皆無な中生み出された存在であるという異質なもの。その結果加減を知らない(フリをしていた?)エンジニア達がメーカーの全てをギッシリ詰め込んだハイパーマシンである。今更そこそこな性能のスポーツカーを生んだところで見向きもされないなら、余りにも振り切ったヤバい車でしか遅れを取り戻せないと考えたのかもしれない。
そこにはドライバーが安全・快適にハイパフォーマンスを楽しめるような配慮や思いやりは皆無だ。事実、生産開始の1年間ほどはABSや*TCS、エアコンが装備されておらず、ある日から慌てて装備され始めた有様である。生産台数もコケットより遥かに少なく、価格も高い。
そして何より、その性能を発揮する為にドライバーに委ねられるスキルのパーセンテージがコケットより圧倒的に高いのだ。
*TCS(トラクション・コントロール・システム)…発進時や走行時に駆動輪が空回りし、パワーが路面に上手く伝わらない事を防ぐ電子制御システム。
モータースポーツにおいてドライバーがマシンのスペックを引き出すことは勝利に大きく関わる要素だが、市販されるスポーツカーは、それを乗り回すオーナーに対しそのほんの一部の片鱗さえ見せることが出来れば生まれてきた意味は達成されてしまう。
あくまで普通乗用車の範疇から大きく逸脱せず、如何にその車が高性能たるかを感じさせるかが評価されるべき点なのである。だが、バンシーはそれを真っ向から拒否しているのだ。
1度この車に魅せられたオーナーは、その残された人生を脅かされようが、莫大な維持費を強要されようがお構い無しに、平穏な週末をこの車を乗りこなす為の時間に費やしてしまえる。
まるでそれは、1950年代にコケットが追いかけたヨーロッパ製スポーツカーの姿そのものではないだろうか。
[↑最後の最後に筆者の雨男ぶりが炸裂。運良く無事に帰還し今に至る。]