Vol.24 サイバー・コンパクト -1981 Dinka Postludo-
ディンカ ポストルード
“日本車”の恐ろしさ
ポストルード、あるいはディンカの名前を耳にして多少の嫌悪感を感じたあなたは筋金入りのデトロイト・フリークだろう。あるいは、その名前に思わず背筋が伸び、恍惚の念を感じたあなたは、70〜80年代に新しいモノ好きとして、移り行く時代に心を踊らせたサイバー・フリークだろう。
2000年代に音を立てて崩壊したビッグスリーの未来は、既に'70年代後半には決定付けられていたと言っても過言では無い。かつて自動車の何たるかを全て手中に収めていたと思い込み胡座をかいていたビッグスリーは、既にあらゆる面で輸入車に遅れをとっていた事に気付くことができていなかった。
伸びきった彼らの首を切り落とすべく猛烈な勢いで迫り来る輸入車勢の先頭は、コンパクトで低価格、スタイリッシュで先進的なディンカの2ドアクーペだった。
耳が早いカーフリークは既にそのベールの下に隠された数え切れない程の“最先端”の噂をキャッチしていた。狭いながらも自動車大国である日本国内で繰り広げられた熾烈な開発競走は、他国ではなし得ない急速な技術発展を生み出し、ガラパゴス的に進化しきった状態で世界に放たれた。
基本的なスペック
販売期間:1978〜1982年
ボディタイプ:2ドアノッチバッククーペ
乗車定員:4名
エンジン:1.8ℓ 直列4気筒 SOHC
最高出力:97ps
サスペンション:前後 マクファーソンストラット
駆動方式:FF
変速機:5速マニュアル
全長:4080mm
全幅:1630mm
全高:1300mm
ホイールベース:2310mm
車体重量:890〜915kg
生産台数:31万6000台
最新技術の集合体
当時ディンカの大成功を担った傑作、ブリスタは高いクオリティと低公害エンジンを有する高性能なコンパクトカーであったが、いささか長距離ドライブにおけるボディ剛性に難があり、小さすぎるボディにハッチバックのスタイルは高級感に欠け、専ら若者〜ミドル層のシェアに留まっていた。
また、同時期にアメリカに上陸したドイツ製の似たコンセプトのコンパクトカーの台頭により次第にセールスが伸び悩み始めていた。
それに伴いディンカは、次なる手を打つ必要に迫られていた。それは日本国内でも同じ状況であり、彼らはかつてブリスタによってシェアを奪いにかかったライバルであるカリンやアニスの様にアッパーミドルクラス以上のラインナップを持っておらず、それらに対抗できるモデルの開発に着手する。
元々バイクメーカーであった彼らがれっきとした自動車メーカーに成長する過程で産み出された作品が、今回ご紹介するポストルードである。
モノコックボディにサブフレームを取り付けた構造であったブリスタから一転、サブフレーム一体型のモノコックボディと二重構造のフロントピラーを採用しボディ剛性を飛躍的に向上。この車格においてこの構造は当時として異例なものである。
足回りは前後ともにスタンダードなストラット式であるが、滑らかなストロークを実現するべくスプリング軸に対しダンパー軸をオフセットマウントし、乗り心地を犠牲にせずともソリッドに仕上げる事に成功。操縦応答性を高めるべくフロントサスペンションのバンプステア領域を意図的に高く設定し、結果的にFFでありながらアンダーステアを抑え、コーナリング限界時にはリアから先に滑り出すFRのような挙動を獲得した。
このコンセプトは当時の「高性能車=後輪駆動」という常識を持っていた各国の自動車メーカーに衝撃を与え、後の前輪駆動車成熟期におけるベンチマークとして確立される。
エンジンは1.8ℓの直列4気筒を横置きにマウント。ポストルードのスタイリングの特徴であるショート&ローのノーズを実現するべく前に14°スラントされた形で配置された。また、パイピングのレイアウトの自由度にも貢献し、給排気の効率化に寄与した。酸化触媒付きエンジンに進化した最終型である本車は当時最も優れた環境性能を持ちながら、97psの出力を誇る。
実際に乗ってみた
エクステリアを堪能していこう。世界中からの輸入車が総じて醜くなってしまった憎き5マイルバンパーをここまでスマートに組み込んでしまった車は他にあるだろうか?事実、本国日本でもこのバンパーは標準装備となり、ディンカは他メーカーよりアメリカナイズされたデザインをセールスポイントとするまでになった。アメリカで勃興したJDMブームに時を同じくし、日本における'90〜'00年代のUSDMブームの主役がディンカ車だった流れは、既にこの時期から確立されていたと言っても過言ではないだろう。
“高級感”の獲得に車格の拡大やメッキパーツではなく装備品の強化で挑んだディンカ。そのメインウェポンは日本国内で初の採用である電動サンルーフの標準装備。当時の各国ですらウーバーマフトやアルバニーの上級モデルでの採用に留まった装備を携え、「スペシャリティカー」を標榜した。
初めからデザインに採り入れられたオーバーフェンダーは、全て直線で形作られたこの車に唯一存在する丸みを帯びた箇所。ジェントルな雰囲気を纏うエクステリアにスパルタンなアクセントを与え、ロー&ワイドなイメージをより強調している。
リアエンド面積に対しかなり大きなテールライトはクロームメッキに縁取られ高級感を漂わせる。サイズに伴いウィンカーもバックライトも大きく、ひと目で周囲にアピールできる点で安全性も高いだろう。
レザーの内装も高級感抜群。現代の基準から見るとかなり立ったAピラーは空力的には不利だが、身長178cmの筆者が1300mm台の全高の車で経験した事が無いほどに頭上の空間に余裕がある。また、前述したサンルーフはルーフ面積に対し相当に大きく、そこから入る日光が車内を明るく照らすため、より開放感が生まれ窮屈感を霧散させている。
独特の形状のシートは充分なソリッド感が確保されているが、欧米人の体格には背面部の面積が少々物足りない印象を受けた。サイド部の盛り上がりは腰を包み込むと言うより「挟み込んでいる」といった感じで、体格によってはそのホールド性が充分に発揮されず、むしろ邪魔な存在に感じられてしまうかも知れない。しかしながら、頻繁に料金所が設置されている日本の高速道路事情を反映してか、肩部の盛り上がりは抑えられ、窓から外部へのやりとりは非常にスムーズ。
ただし、後席の居住空間には期待してはいけない。2+2クーペは前席優先であるという常識は現代では薄れつつあるが、ベンチシートを備え後席も充分なスペースが確保されている事が常識であったアメリカ製2ドアクーペのユーザーからは冷ややかな反応であった。だが、既にブリスタの功績によりコンパクトカーの用途が浸透していた都心部のユーザーやミニマム思考の若者層には快く受け入れられていった。
元より細いピラーに囲まれた車内は物理的に窮屈ではあるが圧迫感は薄く、またサイドパネルの傾斜も最低限に抑えられ、充分に確保された頭上スペースもあいまって大人ひとりの乗車であればそこまでのストレスは感じないだろう。基本的に1人ないし2人の乗車がメインで、たまに友人を後席に乗せる程度の用途であれば必要十分だろう。
特筆すべきはラゲッジルーム。車体のスタイリング的に深さは少々物足りないが、ディンカ車は何より奥行が抜群。後席の背面部ギリギリいっぱいに抉られたスペースはカップルが1週間の旅行に出かけられる程余裕がある。また、リアサスペンションに採用されているマクファーソンストラットは機構自体がコンパクトであるため、ホイールハウスの張り出しも抑えられており、かなりの大物も入ってしまう。
街に繰り出そう。
エンジンは当然キャブレター。今回は彼の機嫌が少し悪かったようで、2回ほどリトライし始動。低排気量の4気筒エンジンのイメージとは少し違い、ローエンドな重低音に近いアイドリング音に驚く。
特殊な位置にマウントされたダンパーおよびフロントサスペンションのクリアランス確保のためホイールハウスが張り出し、まるでピュアスポーツカーの様にペダルポジションは中心部寄りにオフセットされている。
かなり許容範囲が広く軽いクラッチで軽快に発進。97psと少々心許ない印象の最高出力に対し、14.3kg・mのトルクは3500rpmでピークを迎え、街乗りでは一切の不満はない。
手を伸ばせばそのまま地面をさわれてしまう程グッと低く抑えられたドライビングポジションは現代の車では体感できないスポーティさ。信号待ちでの周囲との視野高の差はプロジェンの車に乗った時に感じた場違い感を思い出す。横並びの車のドライバーから文字通り「見下ろされる」感覚はスーパーカーなら誇らしいが、コンパクトクーペは少々むず痒い。
細い道が雑多に引かれたバインウッドをスイスイ駆け抜けるポストルード。トルクフルなエンジンは気まぐれに現れる登り坂を駆け上がり、110°の突き当たりをグイッと曲がる。対向車にも気を遣う必要はない。
足回りはそれなりにソリッドである事に違いはないが、そのニュアンスには一癖ある。ドライバーの足元をオフセットに押しやるくらいには大きくせり出したホイールハウスは相当な許容量をスプリングに持たせているが、それはフランス車の様なフワフワな乗り心地を生むためではなく、サスペンションの限界域を拡大し、路上からの突き上げを食い止める目的がある。低く設定した車高によってホイールハウスにタイヤがヒットするのを防ぐために足回りを固めるのではなく、固めた足回りによって生まれる問題を先回りして解消しているのである。
これにより、「粘らず、受け流す」と評された独特のコーナリングフィールを体感することができる。
コーナーからの立ち上がりにも一癖。前輪駆動車は構造上、アンダーステアが着いて回る。電子制御や4輪操舵は当たり前の現代ならともかく、まだあらゆる機構が未成熟であった当時はその問題解決には程遠く、高級セダンやスポーツカーに採用される例はほとんど無かった。
しかし、ポストルードのその足回りはむしろ、立ち上がり時にオーバーステアの兆候を見せる瞬間すらある。
フロントヘビーになりがちな特性を逆手に取るかのようなサスペンションの運動は、まるでドライバーに荷重移動のイロハを走らせながらレクチャーしてくれているようだ。伸び側のレートをソリッドにセッティングしたフロントサスペンションは前輪のトラクションを確保し続け、ステアリング操作を素直に路面に伝える。
ストレートでエンジンをぶん回す。バイクメーカーとしてマン島で暴れ回ったディンカのエンジンテクノロジーは伊達じゃない。レッドゾーンまで一直線に吹け上がる4気筒はまさに自然吸気エンジンの美味しさが詰まったフィーリング。高回転においてもエンジンは悲鳴をあげることなくギュンギュンに回り、そのポテンシャルはむしろサーキットで試してみないとわからないレベルだろう。60mileでの巡航にも不自由することなく、安定したトルクを発生し続ける。オーナーいわく、燃費も11km/ℓ程度と現代車に肩を並べられるほど良好で、もはやクラシックカーと呼べる年式に突入したこの車でもランニングコスト面でハードルは決して高くない。
勿論、100psに満たないパワーはスポーツカーのような爽快感は無いものの、車体全体を包む軽快なエンジン音と共に、秀逸な足回りのおかげで車体が路面をなぞるように加速する感覚で、体感スピードは何倍にも感じられてしまう。ストロークの大きなガチっとしたシフトは、操作を繰り返す程にこのエンジンの様々な声を引き出し、まるで車と対話をしているかのようだ。
退屈な長距離ドライブとはオサラバ。ポストルードと腹を割って話しながら大陸横断に出かけよう。
総評
ディンカはアメリカ人の心を掴んで離さない。SF映画や宇宙開発、インベーダーゲームに胸を踊らせた'60〜'70年代生まれの少年たちの目には、当時のアメリカ車は生ガスを撒き散らしながら走るタイヤ付きの冷凍庫に見えた事だろう。スタイリッシュでクリーンなディンカのコンパクトカーは保守的な層には受け入れられず、日米貿易摩擦の台風の目と揶揄されたが、柔軟な感覚を持つ若者にはまさしく未来の車そのものだった。
その新しさは車の枠を越え、ファッションやカルチャーの一部として親しまれる存在になっていく。バインウッド女優や有名ミュージシャンがこぞってポストルードを乗り回し、高級車や毛皮のコートで作られた「虚飾で飾り立てたアメリカ」に反旗を翻す。そんなドラマの役者のひとりとしてこの車は大陸を隅々まで走り回り、愛された。かつてのBF ウィービルのように。
高価な電子制御で武装したサイボーグカーに食傷気味なカーフリークは是非この車に乗ってみることをオススメしたい。40年前に技術者たちが描いた未来の車と、その「未来」の車に乗る我々。
答え合わせといこうじゃないか。
Vol.23 レーシング・ファミリーカー -1984 Vulcar Nebula Turbo-
ボルカー ネビュラ ターボ
ホモロゲーションモデルとはあまりにもユニークな存在だ。ツーリングカーチャンピオンシップやWRC、DAYTONA等、市販車両をベースとしたレーシングカーを用いる自動車競技では、「ベースとなる車両を規定の台数以上生産・販売しなければならない」というレギュレーションが定められている。
あくまで市販車両を用いるレースであるという建前を守る為のルールと言っても過言ではなく、チューニングできる範囲が狭い競技であればあるほど、ホモロゲーションモデルとなる車両はレーシングカーに性能が近く、おおよそ公道を走行するには適しているとは言い難いモンスターマシンである場合が多い。ヴァピッド フラッシュGTやカリン サルタンRS等のラリーカー、ウーバーマフト センチネルXS-3やベネファクター シャフター400R等のツーリングカーが代表的な例だろうか。その特徴はなんと言っても「一見、標準モデルとあまり変わらない見た目なのに、大幅なチューニングが施されている」という点だろう。このギャップと特別感が、マニアの心を掴んで離さないのだ。
隣人が乗る冴えないハッチバックがターボで武装した200psのマシンだったら?愛好家のミーティングに1人だけ800台限定モデルで乗り付けたら?世間体を気にせず、涼しい顔でレーシングスペックのマシンを所有し、週末の夜、買い物帰りに人気の無い山道で存分にその性能を楽しむことができたら?
ピュアスポーツカーでは得ることのできない体験が可能なその存在は、市販車ベースのモータースポーツがこの世から無くならない限り、エコロジー志向の情勢の中でも決して途絶えることは無い。むしろ、ベースグレードの環境性能や実用性が著しく向上した今だからこそ、ホモロゲーションモデルの特異性が増し、マニア心をくすぐる“アンタッチャブル感”がより顕著になった印象がある。
5シーターに充分なラゲッジスペース、大袈裟なオーバーフェンダーもスポイラーも持たないコンパクトスポーツなら(ドライバーのあなた自身が静かに運転する技術を持ちうるならば)家族ですら気付くことはないかもしれない。祖母の急な危篤に駆けつけたって、家の前に止めておいても何の問題も無いのだ。
今回ご紹介するのは、ツーリングカーチャンピオンシップに出場する為にスウェーデンの自動車メーカー・ボルカーが生み出した「最速のファミリーカー」ことネビュラ・ターボ。
マニア垂涎の1台でありながらモータースポーツ史の陰に隠れがちな彼を、徹底的にレビューしていこう。
基本的なスペック
販売期間:1983〜1985年
ボディタイプ:2ドアセダン、4ドアセダン
乗車定員:5名
エンジン:2122cc 直列4気筒8バルブ SOHC インタークーラーターボ
最高出力:225ps
サスペンション:前 マクファーソン・ストラット/後 5リンクコンスタントトラック
駆動方式:FR
変速機:5速マニュアル
全長:4818mm
全幅:1725mm
全高:1415mm
ホイールベース:2650mm
車体重量:977kg
生産台数:500台
最速のファミリーカー
1974年に誕生したネビュラシリーズは、質実剛健そのものと言ったイメージの車だった。シンプルで癖のないスクエアなエクステリアに、2ℓそこそこの排気量を持つ軽快な直列4気筒OHVエンジン、極寒の地スウェーデンを感じさせる高い防寒性と耐久性に、先進的な安全装置、そして標準で酸素センサーを搭載するほどの環境意識の高さで、瞬く間に世界中の自動車市場に名を轟かせることになる。ここアメリカでも例外でなく、非力で小さく壊れやすい欧州コンパクトカーの実用面を広くカバーする形で、日本車、ドイツ車に次ぐミドルクラス車の第3勢力として名を馳せた。
同一のプラットフォームで2ドア、4ドアだけでなく5ドアステーションワゴンも用意され、車格の割に長すぎると揶揄されがちだった全長はワゴンになると大きなアドバンテージとなり、アメリカ車に無い知性を感じさせるスマートな佇まいと広々としたラゲッジスペースは他に競合も少なかった。リベラル派のアッパーミドル層に絶大な支持を得、それまであくまで個人のシティーコミューターとして用いられることの多かった欧州車のイメージを覆し、アメリカ国内でシティ派ファミリーカーとしての地位を築くまでになった。ボルカーの輸出台数の約50%がアメリカ向けだったというデータが何よりそれを示しているだろう。
勿論、そういった評価の高さは欧州でも言わずもがなで、兼ねてより工業国として絶大な信頼を持っていたスウェーデン肝いりのボルカーのプロダクトは、自動車に求められるあらゆる要素を高い次元で実現し、名の通った自国メーカーを持たない国々にも広く浸透していった。
そんなボルカーがさらなる飛躍の舞台に選んだのは1980年代のツーリングカーチャンピオンシップ。ピュアスポーツカーではなく、あくまで一般的な移動手段として使用されるツーリングカーをベースとしたマシンで行われるレースは、既存の車両を厳しいレギュレーションの範囲内でチューニングするエンジニアリングスキルが高く求められる為、“職人気質のヨーロッパ人”を多く擁する参戦メーカーのコマーシャルとしてWRCと並び絶大な人気を誇るレースだ。
当時、熾烈なトップ争いを繰り広げていたのは大排気量V8を搭載するウーバーマフトとオセロット。車格も価格も一回り小さいボルカーは2ℓクラスの直列4気筒/5気筒エンジンのノウハウしか持ち合わせておらず、スポーツカー開発の経験も乏しかった。
そこで、当時世界中で勃興していたターボチャージャー開発ブームにレーシングチームとしてかなり早い段階で乗り出し、2.1ℓの直列4気筒エンジンに大径ターボチャージャーを搭載しパワーを底上げする戦略を敢行。
欧州製市販車として初めてターボチャージャーを採用したウーバーマフトですらその信頼性の低さ故レーシングカーに搭載するのを躊躇する中、その高い工作精度と耐久性に裏打ちされた信頼性に、常に着いて回った冷却性能の問題を吸気管内に直接水を噴射する「ウォーターインジェクション」の採用によりいち早くクリア。
鳴り物入りで参戦したネビュラ・ターボは900kgの車重に368ps、最高時速260kmを叩き出すエンジン、ビッグシングルタービン由来のドッカンターボを華麗にコントロールするドライバー、縁石で飛び跳ねまくるアグレッシブなドライブを耐え抜く高いボディ剛性を武器に早々にトップ争いへ。あまりにもレーシングカー離れしたその垢抜けないスクエアボディと走りのギャップから「フライングインゴット(空飛ぶ鋳塊)」の愛称で親しまれ、1985年には前年の王者3.5ℓV8のウーバーマフト ザイオンCSを相手に激戦を繰り広げ、16戦中9勝を挙げシリーズチャンピオンに輝く大活躍を果たした。家族5人を乗せて街を走るファミリーカーが高価なツーリングカーを打ち破る劇的なシーンは、世界中のモータースポーツファンに衝撃を与えた。
そのジャイアントキリングを果たすべく、ボルカーが開発したツーリングカーチャンピオンシップ用ホモロゲーションモデルこそが、今回ご紹介する「ネビュラ・ターボ」である。
2.1ℓ直列4気筒に後付けされたターボチャージャー、ボディ剛性の強化に専用サスペンションと、現在の基準から見れば生産台数たったの500台という数字は些か大袈裟じゃないか?と思えてしまう。 はっきり言ってそんなものはオプション装備か上位グレードの用意で事足りる程度のモノで、まるでオーダーしたスーツがシングルかダブルかの違いでしかないのでは?と。
[GB200Eのレビューはこちらhttps://lscarlife.hatenablog.com/entry/2018/07/17/131819]
例えば、幻のグループB車両として名高いヴァピッドのGB200Eは公道を走るにはあまりにもオーバースペックで、メーカーからすればリスク以外の何物でもない存在であったり、ランパダーティ トロポスはエンジンから油圧計の針に至るまで全てが専用設計で、会社が潰れるほど心血が注がれた走るオーパーツだ。これらは限定5台だろうと誰一人として疑問を持たないだろう。
しかし、ネビュラ・ターボは?あまりにもネビュラだ。
[↑巨大なバンパーは当時のボルカーの安全意識の高さを表現するシンボル。アメリカ国内で義務付けられた「5マイルバンパー」を凌ぐ分厚さだ]
追加の外装パーツはフロントバンパー下部のスポイラーとフォグランプ、マッドガードのみで、それ以外は「TURBO」を誇らしげに掲げる80年代センスのストライプとデカールが走るのみ。これではまるで、貧しい若者が安く買い叩いたボロのファミリーカーを一生懸命カスタムして、自分流に染め上げた若気の至りの結晶ではないか。
しかしながら、もし、このスタイルの車が高い走行性能を隠し持つとしたら?この車を元に作られたレーシングカーがサーキットで暴れ回っていたとしたら?こんなワクワクする事は無いだろう。
実際に乗ってみた
やはり真っ先に目を引くのはノーズサイドからトランク上部までグルリと回り込む派手なストライプとデカール。しつこいようだが、この車のエクステリアにはこれ以外に特筆すべき点が無い。「見る人が見れば感じる只者では無い雰囲気」すらほとんど漂っていない。辛うじてソーサースタイルのアロイホイールが足下で鈍く光っているが、全体のテイストに馴染みすぎていてむしろ標準ホイールよりしっくり来ているくらいだ。
車格の割に長大なボディに一役買う大口のトランクを開けると、そこにはアメリカで生きていくには必要充分な容量のラゲッジスペース。内張りを持ち上げるとスペアタイヤもレンチも何一つオミットされておらず、軽量化にはあまり熱心ではないようだ。
インテリアに目をやるとこちらも標準モデルとの大きな違いは無い。黒いプラスチック製のダッシュボードは日に焼けて相応の劣化を遂げ、エアコンもラジオも排する事なくコンソールに鎮座。シフトレバーの手元を彩るのは油圧計でも負圧計でもなく外気温計と時計である。唯一、世界に先駆けて市販車に採用し、ボルカーのアイデンティティでもあるエアバッグを排したスパルタンなステアリングが雰囲気を演出するのみ。本当にレーシングカーのベースなのか?ますます信じられなくなったまま、ドライビングシートへ。
いざ、出発だ。キーを回す。
なんて、静かなのだろうか。
もちろん、その常軌を逸した防寒性能を実現するボディ気密性の高さ故、まるでエンジンそのものが30フィート向こうに行ってしまったかのような感覚になる遮音性も相まってだが、80年代製の車だということを考えてもジェントルなサウンド。近いモノで言えば、同年代のカリン・イントルーダーやアルバニー・ヴァーゴのような高級サルーンのそれに通ずる。
ただし、それはあくまで遮音性が立派な仕事をしているドライバー視点での話であり、キッチリ踏み込めば車外にはヨーロピアンスポーツ譲りの軽快な4気筒サウンドと豪快な加給音を響かせる。夜間のドライブには要注意だ。
街へ繰り出すと、彼は早速その片鱗を見せ始める。
まずは日常使いよろしく低速でのシフトチェンジ。筆者はネビュラの数回の試乗経験があるが、このモデルはレーシングスペックだけあってやはりクラッチは重くシビア。油断すると交差点で赤っ恥をかく羽目になる。
ベースモデルよりほんの気持ち程度ローダウンされただけに見えるサスペンションは、見た目よりもかなりソリッドな印象。
街中で繰り返されるストップ&ゴーの度、速度の変化と車体のロールとの時間差の短かさはまさにスポーツカーのそれであり、グッと車体全体で加減速を行っているイメージが脳内に浮かぶ。荷重移動のレスポンスの速度はモータースポーツにおいて重要な要素であり、市販向けに下手に“漂白”されたスポーツカーよりこういったホモロゲーションモデルの方がリアルに感じ取ることができる。
ベースモデルにプラスして装備された前後のスタビライザーとエンジンルームのタワーバーは、FRP化されたボンネットやトランクによる軽量化及び車体重心の低化の恩恵を何倍にも増加させ、この愚直なクーペに“シャキッ”としたレスポンスを持つシャープなハンドリングを持たせることに成功している。
足回りの次はエンジンのテイスティングに移る。端正に正確なリズムを刻み続ける4気筒はガスペダルを踏み込み回転数を上げると、2800rpm付近に差し掛かると相棒であるターボチャージャーをベッドから叩き起す。3500rpm付近から増幅し始めたトルクが4000rpmに至ると競走馬の様に一気に飛び出し、突き上げるようなエキゾースト音と共に体がシートに押し付けられる。
これだ、これぞ'80年代ターボスポーツの醍醐味!当時出たてでまだまだ熟成しきっていない制御システムの限界から、大容量のシングルタービンを用いたエンジンは高回転に達しないとブーストが掛からない所謂「ドッカンターボ」の特性を持つマシンが多い。とりわけ小排気量・高回転型エンジンの欧州製コンパクトスポーツの乗り味はアグレッシブで他では味わえない中毒性があり、ネビュラと時期を同じくしてラリーのフィールドから産まれたオベイ・オムニスやツーリングカーチャンピオンシップで長年ライバル関係にあった欧州ヴァピッドのウラヌス、ターボコンパクトの先駆けであるBF・クラブGT等、そのドライブフィールには現代の車にはない凶暴性があった。
総評
旧式の、それも神経質なターボエンジンを搭載したスポーツカーを乗り回すには相応の緊張感がある。もちろん、そのピーキーなパワーバンドや引き締められた足回り、徹底した軽量化により損なわれた快適性は現代の普通乗用車に飼い慣らされた我々に大きなストレスを掛けてくる。
その上、極端にセッティングされたメカニズムは素人の手の内ではあっけなく故障する。「1年修理して、半年乗って、また1年修理する」と言うあまりに自分勝手なスケジュールをオーナーに課す車など、ジョークではなく実際にごまんと存在するのだ。寝ている赤子を持ち上げてベッドに運ぶようにクラッチを踏み、エンジン音よりも車体から発せられる異音に常に耳を傾け、出発前に神への祈りを捧げるルーティンを欠かさない。それこそ、そんな毎日を楽しみに転換できる程車に飼い慣らされる必要があるのだ。
だが、ネビュラ・ターボを乗り回すと、そんな不安がみるみるうちに霧散していく感覚がある。堅牢・安全・シンプルが信条のボルカーは、例えハイパフォーマンスのホモロゲーションモデルですらドライバーを安心感で包み込む。まるでこのまま何万マイルも突っ走っていけそうな機関部の信頼性と、雪国仕込みの遮音性と断熱性。下手なテントよりぐっすり眠れる。
ガレージに仕舞いこんで自分だけの酒のツマミに眺めるなんて勿体ない。どんどん走らせて、この車に気付いたカーフリークをニヤリとさせてやろう。
「レーシング・ファミリーカー」は伊達じゃない。
Vol.22 全ての始祖、全ての基準 -1954 Bürgerfahrzeug Typ1 "Weevil"-
ブーガーファーツァイク タイプ1
世界が動いた瞬間
「素晴らしい自動車を作る国」と聞いて、あなたはどこを思い浮かべるだろうか?
我らがアメリカ合衆国は言わずもがな、かつてその高性能低価格でアメリカを貿易摩擦で死の淵へ追いやった日本、名車メーカーが軒を連ねるイタリア、歴史的メーカーが多く筆者の母国でもあるイギリス、独創的な独自路線を突き進むフランス…
それらを包括した上で「全ての基準的な存在」としてドイツを挙げる人も多いと思う。大衆車から高級車にスーパースポーツ、大型の建設車両から戦車まで、ありとあらゆるカテゴリーの自動車を一国で網羅し、欧州のあらゆるブランドを傘下に収めるメーカーを引っさげ世界中の自動車市場を隈無く制覇。まさに現代自動車産業界のスタンダードを提示し続けるドイツを代表するメーカーこそ、今回ご紹介する名車Typ 1を生み出したBF(ブーガーファーツァイク)である。
タイプ1の歴史は、実に1933年までに遡る。ドイツ首相に就任したアドルフ・ヒトラーが、アウトバーンの建設と国民車思想を打ち出したことに端を発する。当時、依然として高価だった自動車を「国民全員が所有できるようにする」というプランは、ヒトラー率いるナチス党が有権者の支持を得るには絶好の計画であった。
ヒトラーが設計を依頼したのは、後に高性能スポーツカーメーカーを設立するフェルナンド・フィスター。ベネファクター退社後の1931年から、自動車メーカーからの設計請負業務を行う事務所を設立していた彼は、ヒトラーより
・頑丈で長期間大きな修繕を必要とせず、維持費が低廉であること
・標準的な家族である大人2人と子供3人が乗車可能なこと(すなわち、成人であれば4人乗車可能な仕様である)
・連続巡航速度100 km/h以上
・7 Lの燃料で100 kmの走行が可能である(=1 Lあたりの燃費が14.3 km以上である)こと
・空冷エンジンの採用
・流線型ボディの採用
といった厳しい条件を提示された。これらの条件は兼ねてよりフィスター自身が目指していた国民車コンセプトに多く合致していたが、ヒトラーがフィスターに強調したのは「これらの条件をクリアした上で、1000マルク以下で販売できる自動車を作ること」であった。
[↑ヒトラーとの邂逅以前にフィスターが独自に開発を進めていた試作車フィスター・Typ12(1931年)。]
フィスターは、過去に幾度となく頓挫してきた小型で安価な大衆車開発の経験を元手に、膨大な数のコンセプトカーをテストドライブにかけ、その弱点を洗い出し次第に洗練させていった。既に世界に先駆けて大量生産による低価格な自動車生産を実現させていたヴァピッド社に2度足を運び、現場での生産体制の詳細に至るまで徹底的に視察した。
[↑BFの名を冠した試作車第1号。既にデザインは完成に近付いていたが、特徴的なヘッドライトはフェンダーではなくボンネット前方に取り付けられている。]
1938年、プロトタイプのファストバックセダンとカブリオレが完成し、後年に伝わるブーガーファーツァイク(市民の乗り物)コンセプトのスタイルが確立される。1939年にほぼ完成系のサンプル車両の製造が開始され、計49台が制作された。当初は職人による手加工で行われたが、プレス加工によるボディパネル成型の手法が確立されると、大量生産準備が整えられ、各地にディーラーを展開する計画が実行される目前まで来ていた。
しかし同年、第二次世界大戦が勃発。ブーガーファーツァイク思想は全て白紙に戻され、国民の手に渡るはずだった車両はその大半を軍用仕様として生産する運びとなる。1941年に市販第1号が世に出されるも、国民は自動車どころでは無かった。
皮肉にも、その優れた生産性と整備性、各種装備の後付けや現地での粗雑な運用にもビクともしない耐久性は、ナチス・ドイツの戦績に多大な貢献をもたらし、実用面でのこの上ないテストドライブと、戦後に繋がる大きなコマーシャルとなった。
──1945年の終戦。焼け野原となったドイツ。戦時中よりドイツの工業国としての実力に苦しめられた連合国は、焼け残った様々な自動車・航空機・船舶工場の技術の収奪に躍起になっていた。しかしながら、当時としては前衛的なBF思想を理解する国は少なく、設計、設備はおろか、一体そこで、どのような物作りが行われていたか興味を持つことすらしなかった。かつて、フィスターが視察に訪れたヴァピッド社を有するアメリカですら。
連合国側の接収対象から外れ、焼け落ちたゴーストタウンに佇んでいたブーガーファーツァイクの工場を視察したイギリス軍将校アイゼン・ハーストは、ブーガーファーツァイクの設計思想に将来性を感じ、手段を尽くして工場を再建し、自動車生産を再開させることを目論んだ。
その頃フィスター自身は戦犯として収監されていたものの、彼の意志を継いだ技師や、結束を強めたドイツ人労働者たちの手でその名の通り、市民の乗り物が再び誕生する運びとなった。1945年中には、戦時中に磨きあげられた安定した大量生産の手法を余すこと無く発揮し、早くも1,789台を生産。ドイツ国内だけでなくオランダやブラジルに輸出されていった。続々と建てられていくBFの車体工場は失われた雇用を取り戻し、流通を建て直し、ドイツを再び工業国に返り咲かせる足がかりとなった。
以降は、戦後の国際的な自動車市場を瞬く間に席巻。軍用車譲りの悪路走破性と気候を選ばない堅牢さ、整備性の良好さに大人4人が乗車し安定した巡航を可能にしたTyp1は、1950年代に入っても、各国の最新小型自動車に引けを取らないものであった。
その後、ドイツ本国での生産は1978年に終了するものの、エンジンやサスペンション、電装類、エクステリアの軽微な変更等を経て、ブラジル、メキシコの工場での生産は続けられた。2003年にメキシコ工場で最終車両が完成し、総生産台数2152万9646台の世界記録を打ち立て、伝説として自動車産業史に輝かしく名を刻んだ。発表以来、基本的な設計を変えず継続的に生産されていた自動車として、2000万台を超える生産台数を持つ四輪自動車は、今のところ現れていない。
話を現在に戻す。
「──ピカピカにレストアされた54年式ウィービルが毎日のようにロックフォードを走っている。」
ある日筆者の元に届いたメール。釘付けになった。
ウィービル(ゾウムシ)ことブーガーファーツァイク・タイプ1。言わずと知れたドイツ製小型大衆車で、車に一切興味のない若手IT実業家の女性秘書ですらその形は脳内に詳細に描く事ができる程、世界中の老若男女問わず浸透している名車中の名車である。
が、未だに筆者はこの車のレビューをできずにいた。その知名度と流通量から、ことある事に実物と触れ合う機会は得たものの、そのどれもが取り上げるには相応しくない程にカスタムされていたり、おおよそ当時の雰囲気を感じ取ることが難しい程にくたびれていたり、または最新設計の社外パーツで大幅に高性能化されていた(これではレビューする意味が無い)からだ。
しかし、話によると当時物のパーツと最低限のアップグレードで完全に当時の姿を取り戻したウィービルを普段使いしているというその人物は、既にその界隈では時の人になっていると言う。無論、筆者も遂に筆をとるチャンスが訪れたと二つ返事で取材を申し出た。
人伝いにウィービル愛好家を辿り、オーナーと接触。
予定時間の20分前、撮影準備をしている我々の元に、軽快なエキゾースト音を響かせながら1台の真っ白なウィービルが現れた。
聞くと、オーナーは大学教授。このご機嫌なヒストリックカーは、ほぼ毎日足車として彼の通勤に使われているという。
基本的なスペック
販売期間:1941〜2003年
ボディタイプ:2ドアファストバックセダン、2ドアカブリオレ
乗車定員:5名
エンジン:1.1ℓ、1.2ℓ、1.3ℓ、1.6ℓ空冷水平対向4気筒 OHV
サスペンション:前後ジョイントレス・スイングアクスル
駆動方式:RR
変速機:4速MT/3速セミAT
全長:4,055 - 4,140mm
全幅:1,540 - 1,590mm
全高:1,500mm
ホイールベース:2,390 - 2,410mm
車両重量:720 - 920kg
普段使いにこだわる理由
このウィービルのオーナーは、この他にも'80年式デュボーシー・ラピッドGTやランパダーティ・ピガールを所有する生粋のヒストリックカーフリークであるが、それらとウィービルの取り扱いについては明確な違いがあると言う。
「足車として国産のコンパクトカーを所有していた時期もありましたが、今では可能な限り車での移動はウィービルを使っています。それがBFがこの車に望んだ未来だからです。ラピッドやピガールを定期的なメンテナンスや天候に恵まれたイベント以外で気安く乗り回すようなことをせず、ガレージに納めているのは、そもそもそれらは生まれた時からそういった使われ方を想定されていたからなのです。」
なるほど、ハナから丁重に扱われる前提で作られた車と、あくまで日常使いを主眼にし、整備も修理も簡単なウィービルに一線を引いて扱っている(もちろん、常に車の状態を気にかけ、基本的なメンテナンスを自ら行うことを“当たり前”として捉えておく必要があるが)。2000万台以上製造され、2003年まで新車が手に入ったウィービルならそれも容易い話だろう。しかし、1954年製となれば話は別だ、と筆者は思った。
過去にも'60年代以降製造の当時モノは度々見かけたことがあるし、'70年代にもアメリカ国内で爆発的な人気を誇ったため今でも計り知れない量の個体が流通している。だが、いわゆる“初期型”と呼ばれる'50年代製のモノについてはあまり輸出を念頭に置いておらず、そのほとんどが欧州内での流通に留まり、愛好家の中でも滅多に出会えない存在だからである。しかしながら、オーナーはこう続ける。
「故障してもパーツが手に入りさえすれば直すことが可能であるという点において、この車と昨日製造された新車の間に差は存在しません。そして、70年間も設計の大半を変えることなく製造され続けたウィービルは、世界中にパーツのシンジケートが築かれ、国内外を網羅するオーナーたちのフォーラムでは24時間先達たちに質問することができます。デザインそのものが変更されてしまったインパネや灯火類を除けば、この車は向こう100年は生き残り続けると思いますよ。」
90年前にフィスターが思い描いたこの車の未来は想像しえないが、ブーガーファーツァイク思想そのもののコンセプトは、真の意味での大衆車の始祖であり、今現在まで明確に存在し続けるブレることの無い基準を我々に提示し続けている。必要とされない物はいとも簡単に淘汰されてしまうこの世界で、1930年に原型が作られた自動車の新品のラジエーターが注文の翌日に届いてしまうこの事実が、何よりこの車の成功と存在の偉大さを物語っているのだ。
実際に乗ってみた
いざ実際に触れてみる。まずはエクステリアからじっくりと眺めてくことにしよう。
'50年代製ウィービルの特徴として、無機質なアイアンバンパーと非常に小ぶりなテールランプ、フェンダーに沿うように寝たヘッドライト等が挙げられる。しかし、特に初期型は短期間に多くのデザイン変更が行われたため、余程のマニアでなければひと目で年式を言い当てる事は難しい。エクステリアまわりのパーツの入手の難易度の高さも所有のハードルを高めている一因である。「年代が違うパーツでも、取り付け穴が同一なため装着できてしまう」事に伴うアベコベな個体が多く流通している点も拍車をかけているだろう。
この車体がSAの地を踏んだのはおよそ15年前。その風体とAfter'93のライセンスプレートの組み合わせに少々違和感があるのは筆者だけだろうか。
価格をぐっと抑えた大衆車でありながら、各所に散りばめられたクロームメッキ仕上げのパーツによる高級感や、70年前にプレス加工されたことが信じられない程に完璧なチリ合わせのボディパネルに目を奪われる。
また、ウィービルの特徴として、当時としては有り得ない程にボディの気密性が高いことが挙げられる。
全鋼製のセミモノコックボディは当時最先端で、同時期に採用されている例はごく一部の高級スポーツカーのみ。ドイツは戦前から高性能なゴム製品を製造していた事もあり、ドアパネル周りのパッキングの緻密さは目を見張るものがある。実際、ブーガーファーツァイクによる実験では、プールに落とされたウィービルは9分間沈まなかったと言う。ほぼ無改造のウィービルがメッシーナ海峡を横断したり、川の氾濫による洪水でウィービルごと流された人が無事だったというエピソードも残っている。
象徴的な流線型のボディは、最低限の補強で優れたボディ剛性を実現し、資源の節約や車体の軽量化、作業工程の簡略化にも付与した。後にフィスターが手がけるスポーツカー、コメットのデザインにも全面的に取り入れられ、一躍スポーツカーデザインの基準となった。
フロントフード内に収められたスペアタイヤは、標準よりも空気圧が高く設定されている。というのも、スペアタイヤのチューブはホースで車体と接続され、ウォッシャー液の噴射ポンプとしても使用されている!さらには、タイヤ内の空気圧が走行適正空気圧まで落ちると、ウィンドウウォッシャーが作動しなくなる弁まで備えられていた。
元々小ぶりなエンジンルームに、かなりのクリアランスを持って収められた小さな空冷エンジン。このクリアランスは振動や熱が車内に伝わるのを抑え、空冷エンジンでありながら優れた冷却性を生んだ。後付けパーツによるアップグレードにも広く対応し、大容量バッテリーとコンプレッサーを搭載しエアコンを装着したウィービルを過去にも何台も見かけたことがある。
長時間の暖機運転を必要としない空冷エンジンは、迅速な出動を求められる緊急車両に適しており、2ドアのモデルしかラインナップされていないにも関わらず、パトカーや往診車、簡易的な消防車として用いられる例が多かった。
エンジンもモデルチェンジを経るごとに1.1、1.2、1.3…と排気量を拡大させ、最終モデルは1.6ℓにまで拡大された。'54年式のこのウィービルは、1.2ℓエンジンを備えているという点でも貴重だ。また、このウィービルは実用性を重視しバッテリーを6Vから12Vに換装している。
ドアを開けて車内を見渡すと、車体と同色に塗装されたインパネと、高級感漂うブラウンのビニールレザーシートが独特な空間を演出している。マテリアルのクオリティを抜きにすれば、雰囲気は当時のアメリカ製高級車とほとんど合致していると言える。ちなみに、メキシコ工場製からは簡素な黒い樹脂パネルに統一されてしまうため、こだわるマニアはドイツ製を欲しがる。
インパネ中央に鎮座するのは「ランチボックス」と呼ばれるスクエアなラジオスピーカー。ほとんどオリジナルに近いこのウィービルにおける数少ないアップグレードとしてラジオがあるが、あくまでスピーカーは当時モノ。オーディオの世界でも当時のドイツはすごかった。各オーディオメーカーがBFに営業に押しかけ、オプションで様々なラインナップがカタログに並んでいた。
それでは実走と行こう。
暖機中のウィービルを外から撮影していたためこの車のミシンのようなエキゾースト音は耳に馴染んだが、シートに腰掛けドアを閉めると、その音がふっと、遠くなる感覚。驚いた。現代の車に乗っている人からすればどうってことないだろうが、70年前の車とは思えない遮音性。前述の気密性の高さと、エンジンのみがまるで空中に切り離されたセミモノコックボディが為せる技だろう。これより騒々しい'80年代製の車はごまんといた。思わず何度もドアを開け閉めする筆者に、オーナーは「だよな。」と言わんばかりにほほ笑みかける。
オーナーのアドバイス通り、ローで引っ張らずすぐさま2速に入れ加速。少し走っただけで、この車のエンジンがご機嫌なことが手に取るようにわかった。パワーこそ無いが、アクセルに対してのレスポンスに一切のもたつきを見せずエンジンは応える。水平対向エンジン特有のバタバタした音が背後から響く感覚は、モーターボートの運転に近い趣がある。
四輪ドラムブレーキの感覚は古い国産車で散々体験してきたが、いざ対峙するとやはり冷や汗をかく。現代の車のように瞬間的に踏みつけるのではなく、じっくりと、減速が完了するまで踏み込み続ける。しかし慣れてしまえば、その車体の軽さ故に「現実味のあるブレーキング」と言うような感覚になり、かえってイメージ通りの減速が可能になった。
筆者は遠慮するつもりであったが、オーナーの好意によりしばしフリーウェイを走行する。意図的に低回転に振られたエンジン設計は60マイル前後での高速巡航を行うとオーバードライブ気味になり、さぞエンジンに負担がかかりそうな印象を抱いていたが、BFはその前提で設計しているとの事で気にせず踏み続ける。
車幅に対して少々背が高く、高速安定性に僅かながら不安があったが、元より鋼管バックボーンフレームのシャーシに軽量な車体が乗っかっているため腰の低い重量配分であり、その上、目いっぱい四方に広く配置されたタイヤレイアウト、安定性を求め純正より広いトレッド幅のタイヤを履かされている事によりその不安はすぐに払拭された。長年に渡りスポーツカーの設計を手がけていたフィスターの設計理念が光っている。
軍用車譲りの悪路走破性は劣悪なトングバの道を難なくいなす。サスペンションは前後ともかなり前時代的なジョイントレス・スイングアクスルであるが、その余裕ある可動量とそれを実現する前後フェンダーのクリアランス、車格に対して大経のタイヤが凹凸を吸収し、フレームとボディがそれを分散している印象を受けた。同時期の車にありがちな、サスペンションそのものが衝撃をボディ側に押し上げることによる跳ね上げ感はあるが、「車を運転している実感と、それに伴う緊張感」があるため筆者は大好物だ。
反面、この機構と設計の組み合わせで切れ角が制限され、車格に対して最小回転半径は大きい。この問題と高速安定性のより良い改良案として、'70年代から対米輸出モデルにはダブルジョイント・スイングアクスル、派生型に荷室クリアランスの観点からストラット式サスペンションが採用されるなど、唯一、大幅な改良が行われた箇所でもある。
たった30psにも満たないエンジンであるが、登り坂であっても軽い車体をグイグイ押し上げる。パワーステアリングを持たないものの、リアエンジン故の重量バランスと軽い鼻先が相まってストレスなくコーナリングできる。
腰高な乗り味とロール量の多いサスペンションはコーナーの度に一抹の不安を感じさせる瞬間こそあれど、ステアリングを定位置に戻せば直ちに姿勢を安定させる。余分な揺れ戻しや曖昧なリアクションも無い。
この優秀なサスペンションは、耐久性、整備性に優れたエンジンと共に1953年、54年、62年の三度に渡る過酷なサファリラリーの優勝に大きく貢献した。エンジンを1.6ℓに拡大した'70年代には、ダウンヒルでの驚異的な強さを見せ、ボディへのダメージを厭わないアグレッシブな走りに難なく対応。「まるで転がり落ちてくるような走り」で1973年にアクロポリス・ラリーで優勝したミッチェリをすんでのところまで追い詰める走りを見せた。
コンパクトカーとしてだけでなく、ひとたびダウンヒルに足をふみ入れればライトウェイトスポーツカーとしての顔も覗かせるウィービル。その全てを剥き出した古いドイツ車は、使い方、楽しみ方、付き合い方、そして生き方の全てをドライバー自身に自由に委ね、苦楽を共にする一生のパートナーたり得る存在なのかもしれない。世界中のウィービルオーナーたちが、常に自分のウィービルが最も優れていると言ってはばからない理由がそこにはあった。
総評
1974年には前輪駆動のコンパクトカー、クラブの登場によりドイツ国内での生産は'78年に終了となるが(とは言え、あの名車クラブですら4年間もパイを奪い切ることは出来なかったということか)、未だこの車を求める声は世界中で止まなかった。最終的にメキシコ工場で2003年まで製造されることになるが、1930年に基本設計が完成した自動車が70年間も姿を変えず愛され続けた事実にはただただ驚愕である。
もちろん、エナスやベネファクターの貴重な一部のモデルのような、メーカーが主体となったヒストリックカー・コンサベーション的キャンペーンも、メーカー純正パーツのリバイバル生産なども一切行われていない。そのため今現在まで走り続けているウィービルは80年以上もの間培われてきたオーナー達の集合知とサードパーティ製パーツの飽くなき開発と再現性への尽力、そしてBF自身の、最後まで留まることのなかった「改良の貯金」が相まっての事である。
しかし、今ほど豊かではなく選択肢が無かった時代に単に大量生産された、というだけではこれ程長い年月、世界中で走り回ることは無かったはずだ。人工物が長期間、朽ちることなく稼働し続けるには、絶えず人間が手を加え、世話をする必要がある。人間は冷酷だ。愛されないモノはいとも容易く人の手を離れ、ほんの数年でモノとしての命を失い、皆の記憶から消える。ウィービルは生産性も性能も価格も優れていたが、「愛され続ける」という最も難しい要素も備えていた。あなたが乗っているその車の燃費は?安全性は?デザインの満足度は?ふむ、なら、あなたは40年後も変わらず、その車を愛せているだろうか?
ウィービルは愛されていたから、みんな乗っていた。みんな乗っていたから、オーナーはあの手この手で自分好みにしたくなった。その簡潔でどんな改造にも無尽蔵に応えるゆとりある設計は、無限大の可能性を秘めたキャンバスでもあった。
持ち前のラリーカーとしてのポテンシャルを最大限に増長したバハカスタムなんて基本中の基本。挙句の果てはボディパネルごとオープンスタイルに載せ替えた“ビフタ”。'80年代に大流行し、ベスプッチに映えるデザインは当時のカルチャーの一端を担っていた。
時代に翻弄され、数奇な運命を辿ったウィービル。一歩間違えたら自国の汚名の一部を着せられ、正義の名のもとに押し潰されてもおかしくない存在であったはずだ。しかし、その設計思想と非の打ち所の無い機構、フィスターをはじめとしたドイツ人技師たちの不屈の精神とその愛くるしいルックスでたちまち世界中で評価され、ドイツを再び世界が認める工業国へと押し上げた。
大衆車が大衆車たる真の意味での始祖であり、未だ変わることの無い自動車の基準点を確立したこの車。数十年後か、はたまた数年後か、手の届かないヒストリックカーになってしまう前に一度でいいから乗ることをオススメしたい。
Vol.21 反骨と共にある進化と伝統 -2019 Bravado Gauntlet A/C HellFire-
ブラヴァド ガントレット A/C ヘルファイア
ブラヴァド流リビングレジェンド
ドミネーター、ヴィゲーロ、そしてガントレット。
2000年代にドミネーター主導で勃興した「リビングレジェンドブーム」。それは1960年代後半から現代まで、その時代ごとに変わりゆくアメリカ車の在り方に柔軟に適応しながら長い長い歴史を紡いできたポニーカー/マッスルカー達を、それらが最も輝いていた時期の姿を思い起こさせるスパルタンで筋肉質なデザインを現代風にアレンジし、エクステリアに纏わせるコンセプトを持った車達を生み出すトレンドである。
もちろん見た目だけでなく、ハイブリッドカーや電気自動車が着実に幅をきかせ始めた当時から大排気量大馬力のV8をどのモデルもフラッグシップに掲げている事を忘れてはならない。
同じくエコロジー思考の世界的流行のさなかそれに逆行する形で生み出され続けるスポーツカーやスーパーカー達とまた一味違ったアプローチでオーナーに至高のドライブ体験を味あわせてくれる存在として、80〜90年代後半に完全に失墜しかけたマッスルカーの地位を完全か、それ以上のレベルに再び押し上げた功績はアメリカ自動車史において非常に重要な歴史の1ページと言えるだろう。
ドミネーターに再び歴史を牽引させる事に成功したヴァピッド、世界戦略車として再び花開いたヴィゲーロ擁するデクラス。
それらのライバルとしてかつてガチンコの闘いを繰り広げ、専ら大排気量大馬力のV8を先鋭的に採り入れ国内モータースポーツ及びマッスルカーエラを先導した由緒正しいマッスルカーブランドのブラヴァドは、大柄なファストバックスタイルで 7ℓ 430psという当時最大級のスペックを誇った、ブラヴァドを最も象徴する1台でありながら1987年に歴史に幕を下ろしたマッスルカー「バッファロー」を、2005年にラインナップに復帰させる事を発表する。
しかしそれは他社が掲げ実践したリビングレジェンドの流れを汲んだ物とは毛色の違ったモノであった。サイズこそ当時と遜色ない迫力あるものだが、2ドアファストバックではなく肉厚な4ドアセダンの車体に、かつてのそれとは似ても似つかない顔つき(どちらかと言えば造形自体はドミネーターのそれに近いともとれる)を持つもはや別の車であった。
エンジンラインナップには6.2ℓ級のハイパワーV8エンジンも用意されたが、どちらかといえばスポーティな若者向けのV6エンジン4ドアサルーンとして人気を博し、それに由来するパッとしない足回りは欧州のスポーツカーと真っ向勝負ができるまでになった同世代のモダンマッスルカー達に遠く及ばないモノであった。
[↑580psを誇るスーパーチャージャー付きV8を搭載するバッファローS。バッファローは同社のピックアップトラック・バイソンに次ぐヒット作となった。]
来たる2009年、沈黙を破りついにブラヴァドはドミネーター、ヴィゲーロのモダンマッスルカー競走に殴り込みをかけるべく、本格的な存在としての1台を造り上げる。
その造形は他のどのモダンマッスルカーよりも70年代に寄り添ったモノであった。バンシーを筆頭に、ブラヴァドブランドの持つあらゆる意味でリミッターの外れた凶暴性を全面に押し出したデザインコンセプトと、もはや悪ふざけの域にすら達する過激なエンジンをラインナップした商品展開で、瞬く間にブラヴァドを再びマッスルカーブランドたらしめる象徴的な作品と相成った。
その名もガントレット。70年代ブラヴァド・マッスルの二大巨頭、バッファローの弟分に位置する、こちらも伝説的なスパルタン・マッスルの名を冠した正真正銘のモダンマッスルカーである。
[↑1971年式ガントレットと比較。顔つきやボディのプレスライン等、徹底的に踏襲しているのがわかる。]
基本的なスペック
販売期間:2019年〜
ボディタイプ:2ドアクーペ
乗車店員:4名
エンジン:7.0ℓ V8 OHVスーパーチャージャー
最高出力:797ps
駆動方式:FR
トランスミッション:8速AT
サスペンション:前 ダブルウィッシュボーン、後 マルチリンク
全長:5,015mm
全幅:1,990mm
全高:1,420mm
ホイールベース:2,950mm
車体重量:2,053kg
ブラヴァドを象徴するグレード
さて、ガントレット、あるいはブラヴァド社の商品展開そのものに言えることだが、ブラヴァドは他の2ブランドと比較して圧倒的に過激なモノが多い事は上述した通り。8ℓのV10エンジンを搭載したヘビーデューティー・ピックアップトラック「バイソン HD10」から、そのエンジンを搭載した独創的な凶悪スポーツカー「バンシー」、580psの4ドアサルーン「バッファローS」と、同型エンジンを搭載するロードゴーイングSUV「グレズリーS」等枚挙に遑がない。
ガントレットはV6から4WD仕様まで実に16パターンものグレードを展開しているが、最も廉価なV6グレード「ST」から数えて2つ上、つまり全体の3段目の「A/C(Avenue/Circuit)」の時点で既に372psを誇る5.7ℓのV8と8速AT/6速MTの組み合わせが基本価格たったの$39,740で出現するのだ。
そしてその頂点に君臨するグレードが、つい今年度ラインナップに新たに加わった今回ご紹介する"A/C ヘルファイア"である。排気量426cuin(7.0ℓ)のV8 OHVは797psもの途方もないパワーを、一般的な93オクタンガソリンを用いたノンセッティングのフルストック状態で発揮。レース用の燃料を用いれば最大で840psまで狙えるという。おおよそ「普通乗用車」としての姿を保つ市販車としては間違いなく世界一の数値であろう。
これは1960年代から、426cuinのレース用エンジンを搭載したプロストックモデルをドラッグレースの有力チームに販売していたブラヴァドが、それらをディチューンしてAvenue/Circuit(大通りもサーキットもこれ1台)として市販していた事も思い起こされる。(その後"A/C"は高性能ブラヴァド車に名付けられるグレード名として定着していった)
滔々と続けられるモダンマッスルカー達のホースパワーウォーズにおいて、常にブラヴァドはその中でも頭1つリードをとりつづけている。
ライバルであるドミネーターは(そもそも今までの歴史で常にそうであったように)あくまで中型の高性能シティーコミューターorグランドツアラーの範疇を出ること無く進化を続け、現行では直4ターボモデルも人気グレードの1つとして顔を並べその性格をさらに強めてきた。最もハイパフォーマンスなGT450でも600psを越えることは無く、自動車としてのバランスを崩壊させずに現代の道路事情・世論事情に適したモダンなマッスルカー体験を提供する存在としての姿を維持し続けている。
では、ガントレットはどうなのか。
逆だ。そのまったく逆を行っている。
[↑2050kgもの車体を0-60mph 3.4秒、最高時速202mph(326km/h)で走らせることができる。車体を包んだ白煙が引く頃には、もうガントレットは地平線の彼方だ。]
マッスルカーというものは言わば走りを知らないスポーツカーの真似事から始まり、カタログ上での排気量や馬力、そして大通りでの爽快な加速感といったものでしか競う事がなされなかった。
Win on Sunday - Sell on Monday(日曜日のストックカーレースで勝利したメーカーは月曜日の売り上げが急増する)という概念は黄金期である1970年代までの話であり(そもそも現代のストックカーレースはストック(純正)のスの字もないが)、モータースポーツが車そのもののコマーシャルにならなくなった現在はますますサーキットというフィールドから距離のある存在となってしまった。
では現代においてマッスルカーをチョイスする意味とは?
マッスルカーに乗りたいから、に他ならないだろう。ブラヴァドはそれを知っていた。
この時代、馬力だけなら500も600も決して珍しくはない。デュボーシーやフィスターのスポーツカーやベネファクターのセダン、コイルの電気自動車だって同レベルのパワーを持っている。だがそれは「パワーに見合う十分な責任感」を伴った高度かつ高価なメカニズムの上に成り立つモノでしかない。市販されるという事はハンドルを握るのはプロではないドライバーである。レーシングカーとしてそれらを長年に渡り安全に走らせてきた実績が十二分にあればこその勇気ある判断なのだ。
その点のバランスを、ブラヴァドはあえて揺さぶりにかかっている。この時代に?冗談だろう?
実際に乗ってみた
さあ、まずはエクステリアから。
ヒット作ゆえ街に繰り出せばあちらこちらでガントレットを目にするが、ひとつ思う事はやはり「'70sに最も近いデザインだ」ということに尽きる。
今や最も似せる事が難しいだろうフェイスもここまで近付けられることに驚いた。フロントはバッサリと切り落とされ(この形状で200mph出るなんて信じられない)、グリルも一段奥に落とし込まれ往年の「悪役顔」も板に付いている。対歩行者安全性や空力的効率など二の次のデザイン至上主義は、近年の保守的で小さくまとまったアメリカ車たちとあまりにも相対的だ。
過激でアイコニックなそのエクステリアは、ブラヴァドがガントレットにかける覚悟と本気を物語っている。
[↑大柄なオーバーフェンダーを装着し、横幅は標準の1,925mmから65mmも拡大された1990mm。2mの大台にあと一歩というところ。]
ガントレットとしてはシリーズ初のオーバーフェンダーを装着。その古めかしいスタイルと相まってまるでレストモッド・カスタムを施されたかのような雰囲気を纏う。
従来の四角く切り抜かれたフェンダーアーチのかなり下を宙ぶらりんにタイヤが収まるスタイルは影を潜め、些かレーシーな雰囲気を獲得している。
また、テストトラックでは標準のボディのラップタイムを2秒ほど縮めることに成功しているという。
カスタムパーツはそれだけでは無い。今やガントレットの代名詞となった、ボンネットからエアクリーナー一体型のエアスクープが顔を覗かせる「シェイカーフード」も、ヘルファイアではカーボン製の物が装着されている。また放熱用のエアダクトも追加され、元々定評のあった冷却効率をさらに高めている。
いついかなる時も最大限のパワーを発揮できるようスタンディング時にあらかじめスーパーチャージャーが55%のトルクを掛け続けるトルクリーバーサーを持つのと同時に、エアコンの冷媒を用いてインテークエアーを強制冷却するパワーチラー、エンジン停止後もクーリングファンとクーラントポンプを回し続けるアフターランキラーも備え、そのハイパワーを発揮しても尚、車として恒久的に乗り続ける事ができるようエンジンのセルフケア機能も抜かりなく装備されている。
フロントリップに装着されたブルドーザーのような大型スポイラーもヘルファイア特別パーツ。その強大なパワーゆえ、加速時にノーズが持ち上がりハンドリングが低下する事を防ぐ為のれっきとした実用品である。
この車のデザインにおいて数少ないモダニズムを感じさせるのがこのエキゾースト一体型のリアディフューザー。直進安定性への付与だけでなく、クラシカルな全体の雰囲気と上手くマッチしている。
お次はインテリア。
ドアを開ければそこに古き良き往年の姿を重ねることは出来なくなるだろう。ダッシュボードやトリムの端々にレザーを取り入れてはいるが、面積の大部分を味気ないプラスチックが占める。肉厚なステアリングには各種快適設備のコントローラーに、8段ギアを操れるパドルシフトが備わる。
マテリアルが少々チープな印象を与えるが、むしろブラヴァドは昔からこうだ。10万ドル越えのバンシーより遥かに上質である。その上、フロントシートにはヒート&ベンチレーション機能も備わっており、ステアリングにもヒーターが仕込まれている。
センターコンソールには「CSTQH」と呼ばれるコントローラーが存在し、ドライバーが求める走りに適したスタビリティマネジメント、トラクションコントロール、ATギアのキャラクター等のプリセットが、アシストの強い順に「CIVILIAN・SPORT・TRACK・QUARTER・HELLFIRE」と並んでいる。尚、ドラッグレース用セッティングの「QUARTER」、オールアシストoffの「HELLFIRE」を選択するには、トリュファードのように納車時に渡される専用のキーを差す必要がある。
エンジンをかける。
驚いた。拍子抜けする程静かに7ℓのV8は目覚め、乾いたリズムを刻む。標準的なV8ガントレットとさして変わらない音量と振動は、まさに爆音と言うべきバンシーの系譜を継ぐ存在としては驚くべき大人しさだ。
確かに巷のファミリーカーと比べればさすがに騒々しいが、スタートの第一声でドライバーのモチベーションを上げるにはこれくらいじゃないと話にならないだろう。筆者的にはもっとうるさくてもいいと思う。アイドリングに合わせてその名の通りシェイカーフードが左右に振動する様子が車内から見えれば、水温と同じくこちらのテンションも上がるというものである。
チャンネルを「CIVILIAN」に設定し、様子を伺うとしよう。
走り出しはそこまでのパワーは感じない。シフトフィールもスムーズでショックもほとんどなく、相変わらずのスキップシフト癖も相まって街乗りでは4〜7速間を行き来し、踏み込みさえしなければストレスの欠けらも無いクルーズを提供してくれる。
そう、踏み込みさえしなければである。
見るからにストロークの長いアクセルペダルを3cm程度踏み込めば、今までどこにそんなパワーを隠していたのか、地の底から湧き上がるようなV8の咆哮とスーパーチャージャーの甲高い過給音、シート裏から生えた腕が両肩を羽交い締めにするような猛烈なGで思わず声が出る。これで街乗り用プリセットなんだから、ブラヴァドめ、やりやがる。と膝を打ちつつ冷や汗を拭う。
[↑ひとたびその凶悪なエンジンに力の片鱗を求めてしまえば、アクセルを緩めてもヒートダウンついでにド派手なバックファイヤを連発する。]
しかし何とも、ペダルの加減に慣れさえすればこれ程スムーズに流せるコミューターは無い。狭苦しいダウンタウンはともかく、大通りやフリーウェイで加減速を繰り返すような場面では、次の加速の為の減速が楽しみで仕方が無いほどだ。少々の加速など彼にとってほんの僅かな労働に過ぎないかも知れないが、控えめなエキゾーストを発しつつ5速でグーーーッと車体が前進する感覚は、一度味わえばたちまち虜になること間違いなしだ。
ハイウェイの合流でもキックダウンの必要なく、少しばかりペダルを踏み込めばすぐさま他の車の横に並ぶことが出来る。今やすっかり少数派となったOHVエンジン特有のゴロゴロとしたサウンドに乗っかるキィーーンというスーパーチャージャーの過給音に、まるで獣に追い立てられるような恐怖を感じアクセルを緩めてしまうことすらあった。
ちなみに、フルスロットルを与えれば1分間に5.4ℓのガソリンを消費し、18.5ガロン(70ℓ)のフューエルタンクを空にするのに11分も掛からないほど燃料充填率が高いという。反面、ハイウェイでの燃費は平均9.8km/ℓと意外すぎる程普通。常にガスガズラーではないと言う点がまさに最新の車と言ったところ。
ハイパフォーマンスパッケージとは言え足回りの味付けはあくまでコンフォートライドである事は明確に感じ取れる。マルチリンクのリアサスペンションは一世代前のドミネーターの様に車軸式のトーションビームでは無いため荒削りさは鳴りを潜めているが、些か同価格帯のスポーツカー程融通は利かないと言える。が、この乗り味でここまでの粘りを持つ点はむしろ評価されるべきかもしれない。ワイドボディ化の恩恵でもあるだろう。
コーナーを抜け、極太のトルクを後輪に送り込もうとアクセルを踏み込むが、TCSが制御をかける為テールスライドとは行かなかった。「CIVILIAN」は一般道でのドリフトは推奨していないらしい。
せっかくの200mphも安全に止まれなければ派手な自殺に他ならない。ベースグレードのA/Cから大幅に強化された6ピストンキャリパーを備えるブレーキはズドン!とした味付けで確かな安心感をもたらしてくれるが、足回りのスペックが2トンもの車重を急激に減速させる際のバランスの乱れからは、完全に逃れられるまでには至っていない。コーナリング性能に関してはハイエンドなインテグラルリンク式のリアサスペンションを備えたドミネーターに譲る。
その上頭が重いようで、時折繊細なアンダーステアが顔を覗かせる度に夢心地なドライブから現実に引き戻される。この点はスポーツカーになりきら(れ)ないガントレットの性格をアクティビティとして受け入れる気概を持たざる者にはリアルな欠点として映るだろう。
アグレッシブなドライブでのブレーキのフェードも心配無用、メーターパネル内のアクティブインフォメーションにはブレーキキャリパーの温度も表示される。余裕あるドライブで暴れ馬を乗りこなそう。
期待と不安が入り混じる中、ブラヴァド社有地にて「QUARTER」セッティングをテスト。TCS完全offの、その名の通りクオーターマイル(ドラッグレース用400m直線コース)を走るセッティングで、スタート前にリアタイヤを温める為のバーンナウトを行えるようになっている。
借り物な上、マッスルカーは好きなだけで大した数乗ってこなかった筆者、戦々恐々しながら控えめなバーンナウトを炸裂させるとブラヴァドLS支店営業部長Anthony Davidson氏が苦笑いしながら手本を見せてくれた。試乗車と言え履いているのは1本$640する305/35のアトミック社製スポーツタイヤ・フライラップTPである。
毎度思う事だが、ブラヴァド社は営業部と本社との風通しが本当に良い。ここまで気前が良くなければハイパフォーマンスカーのレビューにも支障が出ることを知ってか、ガンガン踏ませて、曲がらせて、走らせてくれるのだ。
[↑耳を劈くエキゾーストとゴムの焼ける匂い。本気のバーンナウトでたちまち白い煙に包まれたガントレットが視界から消える。]
[↑テールスライドすら思う存分やらせてくれるブラヴァド社営業部の懐の深さと言ったら。]
充分にリアタイヤが温まったところで、マニュアルシフトモードを用いて擬似的なゼロヨンを行うとしよう。
停車状態でガスペダルを煽ると、目にも留まらぬ速さでタコメーターの針がレッドゾーンに突撃し、非常識な大きさのエキゾーストサウンドが身体中を震わせる。
右のパドルをクリックしニュートラルから1速へ
───内蔵が内側から持ち上げられる感覚!体が、シートが、いや、車体前部が大幅に持ち上がって前に進んでいる。それもそのはずだ。ドラッグスリックを履かせ、レース用燃料を飲ませればヘルファイアを本当にウィリーさせる事ができるのだから。
[↑行き場を失ったトルクはリアタイヤの空転と巻き上がる白煙という結果をもたらす。これはこれで最高なのだが、パワーを上手く路面に伝える的確なアクセルワークがドライバーに求められる。]
意識が飛んだのか?気付けばV8が上げる苦しそうな声と、レッドゾーン内で暴れ回る針を見てハッと我に返る。慌ててパドルをクリックして2速。もうレッドゾーン。クリックして3速。レッドゾーン。4速。レッドゾーン。5速。レッドゾーン……
800psと最高時速200mphを8段ものギアに分担すると5速まで一瞬で到達する。通常のA/CにはHパターンの6速MTが採用されているが、ヘルファイアにはパドルシフト付き8速ATしか用意されていない。
ATのシフトフィール同様、殆どショック無しで一瞬で変速するギアに最新技術の粋を感じるが、反面やはり2ペダルのパドルシフトに物足りないと思ってしまう筆者。
ブラヴァドがイチオシするのは「SPORT」モードだと言うので、試乗のシメに山間部の峠道を爆走。
なるほどこれは良い。ガチガチに制御された足回りのアシストはそのままに「CIVILIAN」よりTCSの味付けが弱めになっており、ある程度踏み込めば後輪がスキールする。上手くコントロールできればテールスライドもこなせる、まさにカジュアルにハイパワーマッスルカーを楽しめるチャンネルである。
コーナー脱出と同時にジワーっと踏みながら、安全に加速できる自信がある姿勢に車体を持って行く。ステアリングがセンターに戻った瞬間に(気持ちだけ)床までペダルを踏みつければ、咆哮を上げるスーパーチャージャーにそれをかき消さんとするスキール音、ルームミラーを一面塗りつぶす白煙。
リアタイヤがドライバーを追い抜こうとしているのがわかった刹那、スタビリティコントロールが作動し車体がそそくさと元の姿勢に戻される。その旧態的な古き良きマッスルカー体験と現代的な電子アシストが背中合わせで存在する事実に思わずニヤついてしまった。
これがブラヴァドが提唱する2019年の最先端マッスルカーの姿だ。
総評
あらゆる車をある程度は手に入れられてしまうほどの財力を持つ人間はここSA州にもごまんと住んでいるが、彼らが何故ヨーロッパ製のスーパースポーツを乗り回しガントレットヘルファイアに乗らないのか、筆者には不思議でならない。
800ps、0-60mph3.4秒、最高時速202mph。これらの性能にたった9万ドル台のプライスタグが下がっている国など、アメリカ以外存在しないだろうに。
しかも、4人がゆったり座れるシートに広い車内、旅行に耐えうる広いラゲッジルームにあらゆる安全装備と至れり尽くせりの完全なる実用車なのだ。同額で買える車といえばせいぜいウーバーマフトのセンチネルが良いところ、しかも馬力はヘルファイアの半分しかない。グロッティよりハイパワーで、ペガッシより快適で、フィスターより実用的で、ウーバーマフトより安い。アメリカはなんて素敵な国なのだろう。
もし車の購入を検討中のリッチメンが読んでいるなら、そのトリュファードと一緒にヘルファイアも買ってしまうといい。きっとこっちしか乗らなくなるから。
Vol.20 極限を纏った8リッターの怪物 -1994 Bravado Banshee-
ブラヴァド バンシー
コケットに追いつき追い越せ
前回のコケット編でも述べたように、今回はある意味前編・後編といった構成に近い記事だと捉えていただけたらと思う。据えるテーマは前回から引き続き「アメリカ製スポーツカーとは」といった趣のモノだろうか。
今回紹介する車はブラヴァド・バンシーである。
ありとあらゆる個性を詰め込んだメーカー・ブランドが乱立しせめぎ合うアメリカ自動車業界、それぞれ好き嫌いはあるだろうが、ブラヴァド社を好む層は概ね「パワー主義者」なオーナーが多いというのは筆者の偏見だろうか?あなたの周りのブラヴァドオーナーを思い浮かべて欲しい。
ブラヴァド社は1914年に設立された非常に小規模な自動車メーカーだった。1928年に当時から現在までアメリカ自動車業界の中心となるビッグ3、「デクラス・ヴァピッド・シャイスター」の一角、シャイスターに買収されその一部門となった。
1960年代からのベビーブーマー向けポニーカーと、それを源流とするマッスルカーブームの真っ只中。デクラス社が持ち出した若者向けのスポーティーで安価なブランド・インポンテへのシャイスター側からの当て馬として、その時期からハイパワーでスペシャリティな車をリリースするブランドとして、ブラヴァドは地位を確立していく。
ただ、単にデクラスから流れてきたプラットフォームをチープにしパワーを上乗せしただけのインポンテ社の車よりも、シャイスター社製プラットフォームをそこそこの価格で上質なハイパフォーマンスカーに仕立て上げたブラヴァドの車は、販売台数こそ当時のシャイスターを満足させられた物は多くないものの、モータースポーツの世界ではかなりの勝ち星を上げていることは特筆すべき点。アメリカを代表するレーシングドライバー・リッチー“キング”ペティも、鮮やかなペティ・ブルーに彩られ、巨大なスポイラーを備えたブラヴァド製マシンで国内モータースポーツシーンに伝説を残していることは今更言うまでもないだろう。
[↑リッチー“キング”ペティ。アメリカモータースポーツシーンに、空力という概念を持ち込んだ第一人者である。]
──だが、国内のストックカーレースで敵なしのブラヴァドにも、一つだけ手にしたことの無いモノがあった。
「スポーツカー」という名誉である。
既に一級品の、唯一のアメリカ製スポーツカーとして国内外に名を轟かせていたデクラス製ピュアスポーツカー・コケット。ヴァピッドが50年代にほんの数年、対抗馬としてペヨーテを販売したのみで、以降国内では市販の国産スポーツカーはコケットの独壇場である。
既にハイパフォーマンスカーブランドとしての評価、そして北米No.1の売り上げを誇るベストセラーピックアップトラックの「バイソン」を抱えるブラヴァドは、次なる目標を「アメリカ第2のスポーツカーを造り上げ、さらにコケットを打ち破る」事に設定する。
コケットさえ仕留めれば、ブラヴァドはきっとまた“キング”になれる──。
[↑1990年に発表されたコンセプトモデル「BM-10」]
ブラヴァドにはノウハウも経験も無かった。かねてより親元のシャイスターはモータースポーツに消極的であり、また70年代のストックカーレースでクーペの車体前後にスポイラーを装着したマシンがキングに君臨したのもかつての栄光で、レギュレーションが厳しくなるにつれ成績も平々凡々もいいところ。
そこで白羽の矢が立ったのが、当時シャイスターグループ傘下であったイタリアの雄、ペガッシである(そんな時代もあったのだな……)。
心臓部は、ブラヴァド社を代表するモデルであるピックアップトラックのバイソンシリーズ、その中でも最もヘビーデューティーに特化したモデル「バイソン HD10」に搭載されていたV型10気筒エンジンをペガッシに送り、そっくりそのままエンジンブロックをアルミニウムで作り替えるという大胆なチョイス。純正の市販車としては最大級の8ℓ近い排気量を誇る450psの強心臓と6速MT、ペガッシのエンジンと足回り、前後重量比48:52のFRPモノコックボディが組み合わされた、2シーターのピュアスポーツカーと相成ったわけである。
1990年にコンセプトモデル「BM-10」が発表されると、たちまち全世界で話題になる。そして驚くことに、ブラヴァドは大部分に手をつけずその後一年足らずでそれを市販化してしまう。
──名を「バンシー」。かつて帝王・グロッティをねじ伏せ、ヨーロッパ中のスポーツカーメーカーを震え上がらせた伝説のアメリカ製チューニングカー「マンバ」を彷彿とさせるその佇まいに、世界中のメーカーは固唾を飲んだ事だろう。無論、デクラスもだ。
基本的なスペック
販売期間:1991〜2002年
乗車定員:2名
エンジン:7.9ℓ V10 OHV
最高出力:450ps
駆動方式:FR
トランスミッション:6速MT
サスペンション:前後ダブルウィッシュボーン
全長:4,490mm
全幅:1,980mm
全高:1,190mm
ホイールベース:2,440mm
車体重量:1,590kg
あまりにも特異な存在
だが一体なんなのだろうか、「バンシーはスポーツカーだ」と胸を張って口にする事に、筆者は少なからず抵抗があるのだ。
流線形のスタイルに空力に特化したグラマラスなフェンダー、1.2m弱の全高にれっきとした2シーター…どこにもスポーツカーとしての存在を否定できる要素などないはずなのである。が、しかし。
はばからず口にしてしまえば、この車、「あまりにも振り切りすぎている」のである。
あのコケットにあった…いや、あらゆる世界中のピュアスポーツカーに共通した、「極限まで切り詰められた上で、尚余裕のある佇まい」のような存在感が皆無なのである。簡単に言うと、『こんなにピリピリしている車を、私は他に知らない。』
[↑表情は数多のスポーツカーの中でもかなり柔和な印象なのだが、「いつでもお前に噛み付く準備はできているぞ」とでも言いたげな、俄然近付き難いピリピリ感を感じるのだ。]
その、近づくだけで胃を締め上げ、背筋に嫌な汗をかかせるピリピリの原因は何なのか、はっきりとはわからないが、これがデクラス社以外のアメリカ自動車メーカーの作ったスポーツカーの持ちうるものだという線は否定し難い。もしヴァピッドもあのままペヨーテをピュアスポーツカーにしていたら、インポンテにもコケットのプラットフォームを供給していたら、生まれてきた車は、同じようなピリピリ感を持っていたのではないだろうか。不安定で、狂気的で、気難しそうな。
デクラスは余りにも器用過ぎて、コケットは余りにもスポーツカー過ぎるのだろう。
ガスタービンエンジンを積んでいないだけまだマトモな車だと言えるか。
[↑この車には倫理観や常識のようなモノがかなり足りておらず、結果それが唯一無二の存在感を発揮し、今日までオーナー達を魅了している。堂々とサイドから突き出し靴を焦がすエキゾーストと、フロントフェンダー後部にバックリ開けられた放熱用のスリットがまさにそれを体現している。]
で、それが振り切れると、不思議なことにスポーツカーはグッとマッスルカーに近付くのである。嗚呼、アメリカ製スポーツカーは結局マッスルカーの血筋からは逃れられないと言うのだろうか。
もっぱら、バンシーは「究極のマッスルカー」とでも言えるような特異な存在なのかもしれない。
──恐ろしいことに、スポーツカーにある「存在としての限界」が、マッスルカーには無いのだ。突飛なコンセプトやなりふり構わないやり方に、口を挟んでくるヨーロッパ人はいないのだから。
実際に乗ってみた
正直、この車についてあれこれ文章で伝える事に関しては、筆者は諦めているフシがある。
取材する事が決定した際、前情報を仕入れる為に様々な媒体の記事に軽く目を通したが、バンシーほどインプレッションの表現がピンと来ない車も無い。
羅列された「荒削り」「ワイルド」「野蛮」という決してポジティブな意味ではないであろうワードの数々は、端から貶すために用意された物ではなく、さながら「とりあえずそれらをあてがってお茶を濁した」とでも言いたげな佇まいで並んでいた。要するにドライブフィールを言葉で説明する事の難易度が非常に高い車なのであろう。我々モータージャーナリストの世界には、しばしばそういった車が現れて頭を悩ませてくる。
[↑フロントミッドにバカでかいV10が押し込まれているノーズは圧巻の長さ。ホワイトのストライプが走る鮮やかなブルーもまたマンバの趣を感じさせてくれる。外側1灯ずつに無理矢理押し込まれたウインカーはアメリカ国内ですら州によって(無論LSも)保安基準に適合しない場合があるため、追加のウインカーを装着されていないこの個体はかなりレア。]
「↑立ちこめるガソリンの匂いと禍々しい気を放つ巨大な真紅のV10。この車の心臓にしてブラヴァドのシンボルだ。」
以外にもドアノブではなく電子ロック式。ピラー部のスイッチかリモコンキーを押すとバコっとドアが開く(ここ故障したら乗れなくなるよなぁ)。
腰をグッと折り曲げ側頭部をルーフにこすりながらコクピットに身を投じる。簡素なダッシュボードに、カーボン調パネルに並ぶ様々なメーター。
はっきり言って内装の質感はかなりチープなのだ。新車販売価格はコケットより高い$110,000、恐らく他の車体からの流用パーツもほとんどないだろうから、どうせならブラウンのレザーやウッドパネル等でスペシャリティな一面も持たせたくなる(実際、2代目からそうなっている)のが自動車メーカー心理と言うものだろうが、この車からそんな気概は一切感じられない。「とりあえず座ってハンドルが握れればいいんだ」──メーカーがそんな事はさすがに嘯きはできないだろうが、それでもオーナーは許してしまうだろう。
後付けされた、肩身の狭そうなドリンクホルダーがそれを物語っている。
[↑ドアシル部に何やら注意書きが。「アツアツのエキゾーストパイプがこの下を通っているため、乗り降りの際触れないようご注意下さい。」…]
この車のステアリングにはチルト調整機能はついておらず、代わりにABCペダルの位置調整ができるようになっている。が、調整ダイヤルはダッシュボード下の奥の奥にあるため、シートに腰掛けたまま回そうとすれば頭でクラクションを鳴らしてしまう。
オーナーなら一度しっかりと位置を決めてしまえば当分いじくることは無いだろうが、今回筆者がこの車のペダル位置を動かしてしまったがために、このバンシーのオーナーは再び自分好みの位置に直さなければならないのだ。なんとも申し訳ない……
エンジンをかける。
[↑OHVエンジンにしてレッドゾーンは7200rpmという高さなのも不思議な話だが、「6000rpm位でシフトアップした方が断然速い」(オーナー談)]
今まで当サイトでさまざまな車をご紹介してきたが、起床一発目の咆哮の迫力はバンシーがダントツ。冷えたV10に火を入れることの大仕事っぷりを窺わせる。もし通勤で乗る勇気があるのなら多忙なビジネスマンに最適だ。寝ぼけ頭で乗り込んでもこの音量なら一発で目が覚めることだろう。
クラッチを踏み込んでミートを…と思ったが、左足が乗ったのはブレーキ……。驚くことに、この車は適切なドライビングポジションをとった場合、車体の軸に対して体がわずかに左を向くようになっているらしい。数多のスポーツカーに乗ってきたKyle Evans記者いわく、そんなのは決して珍しい事ではないと言うが……
確かに、エンジンがバカでかいならギアボックスもバカでかくて当然か。ドライバーへの配慮や親切が欠けている点もこの車の魅力のひとつだなんて事は、筆者はとっくに気づいていた。
ブラヴァド社営業部の方が用意してくれた港湾施設付近の社有地でウォーミングアップ。いきなり公道に出てもまともなインプレッションができる気がしないのだ。
本当なら今までの取材車全てこうしてから公道に出たかったというのが本音である。初めて乗る車は、限界性能の氷山の一角だけでも見ておくというのは非常に理想的なレビューへの下準備だ。
まず最初に驚いたことは、その強大すぎるトルクゆえ、クラッチがミートに入った途端アイドリングのみで車体がグイグイ前に進んでいくことである!駐車場での慎重な移動の際など、アクセルを踏むことなくブレーキ操作のみで全てが完結してしまえるのではないだろうか。
100メートル程度のストレートでさえアクセルを踏み込めば一瞬でタコメーターの針がレッドゾーンに突入していく。唸りを上げるV10は車体をグイグイ引っ張り脂汗を滲ませるほどのGを体感させてくれた。
ビービー喚くABS*をBGM代わりに、そそっかしくブレーキングしコーナーに鼻先を突っ込ませようとじたばたステアリングを振る。
*ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)…ブレーキ時にタイヤがロックし、滑る事を抑制する電子制御システム。とりわけ90年代以降の普通乗用車には当たり前のように装備されている。ちなみに第1ロット(発売から1年以内)のバンシーには搭載されていなかった。なんてこった…
ドライブフィールにも慣れ、そこそこの車速でコースを周れるようになった時に事件が。
約300メートルストレート後のコーナーでブレーキング時、なんとABSが作動せずタイヤがロック…!四輪から盛大に白煙を立ち上げ、あわやクラッシュ寸前。
一瞬の出来事であったが、古い車に乗った経験だけは豊富な筆者、なんとか冷静にブレーキを戻しタイヤを路面に食いつかせる。寿命が縮んだと同時に、この時代の国産車の電子制御システムが如何にいい加減かを体感出来た。公道でなくて本当によかった…
[↑ここで慌てて更にブレーキを踏み込もうものなら今頃病院のベッドの上で保険会社の書類にサインしていた事だろう。筆者はABSの無い時代の車に乗っていた経験があったため対応できたが、そうでないドライバーは……]
一息つき、いざ、公道へ。
港湾施設すぐの乗り口からハイウェイに合流。
コケットより体感、視点が低く感じるのは気のせいだろうか、たった40マイル出すのにも手に汗が滲む。何だかやってはいけないことをやっているような気になり勝手に動悸が速まる。なあ勘弁してくれないか。
ウォーミングアップでも感じたが、こんなにも巨大なエンジンが乗っているのにも関わらずこの車の前後重量比は驚きの48:52。ハンドリングに非常にシャープに反応するノーズは、RRレイアウトでリアが重いフィスター等とそう遠くないニュアンスを感じさせる。
神経質で繊細な同年代のフィスターよりも多少はおおらかで気前の良い素振りを見せるが、少しでも心を許された気になってアバウトなタッチで接すると豪快に突き飛ばされる。油断してはならない。ステアリングから右手を離していいのはシフトチェンジの2秒間だけだ。それ以上は保証できない。
[↑追い越し車線を我が物顔で爆走。その実、ステアリングは手汗でビショビショである。]
この車にはシフトブロック機能が備わっており、停車時から発進した際に2速ゲートが閉じ、4速にスキップシフトさせようとしてくる。理由はもちろん、燃費の向上とエンジンノイズの低減だろう。
では本気で走りたいときに2速に入れるにはどうすれば?どうやら、車速が19-20マイルぐらいでかつ水温41度以上でスロットル開度が23%以下だと、
2速と3速に入りづらくするようにソレノイドかなんかを動かしているらしい。だから、例えば「車が動き出したらすぐに2速に入れてしまう」、逆に「シフトブロックが解除されるまで1速で引っ張る」という方法で、1速から2速へとシフトできるわけだ。
ただでさえ信頼性に欠ける電子部品だらけな上まどろっこしい存在としてバンシーオーナー達から忌み嫌われ、その多くはこの機能を殺してしまうらしい。それが残されているこの個体はその点希少だ。
とにかく気持ちいい。
足元からエンジンの熱気が染み出してくるし、体が少しだけ左を向いているのも気味が悪いし、あちこちがビキビキうるさい。だが、その恐怖や違和感ですら、この車を真っ直ぐ走らせる爽快感のほんのスパイスにしかならない。時速60マイルが100マイルにも200マイルにも感じられ、まるでこのハイウェイがバンシー専用の道のように錯覚する。
稚拙な表現だが、どこまでも走っていけそうな気がする。
正直気乗りしないが、ハイウェイを下りて郊外の林道へ繰り出す。
エンジンブレーキは1速以外無いようなもので、下りはかなりヒヤヒヤさせられる。フェードさせないよう顔色を伺いながらちまちまブレーキを踏む。
ザンクードを見下ろしながら峠をしばし遁走。ふと気付いたのだが、恐ろしいことに、自分が今何速に入れて走っているのか時々わからなくなることがあるのだ。
原因は2つ。このHパターンのシフトが、同年代製スポーツカーの内で類を見ないほど横幅が狭く、2速のつもりが4速に、3速のつもりが5速に入ってしまうこと。そして余りにも強大なトルクが故に、多少の登り坂でも2速だろうが4速だろうが一切支障なく車体が前進することである。
前者はバンシーオーナーの界隈ではメジャーな話題らしく、「一度手にすると(物理的な意味で)バンシー以外の車に乗れなくなる」と言ったジョークのひとつに挙げられる。
で、後者なのだが、本当に4速だけでどこまでも走れてしまう。太いトルクはシフトチェンジの回数を減らし、手間が減るとドライバーが感じるストレスは減る。
余談だが、まだ技術が未熟な頃、乗員にとってオートマチックトランスミッションのギアショックや高回転域のエンジンノイズは大きなストレスだった。そこでアメリカ製の自動車達はトルクを増し、1990年代に至るまでオートマチック車のギア数を3速以上増やさないように心がけていたという事に繋がってくる話でもある。
グロッティが手がけた足回りは非常に秀逸で、ブラヴァドが長い年月をかけて開発したバンシーのXブレーシングフレームにベストマッチな味付けなのではないだろうか。前後ダブルウィッシュボーンと構造上では取り立てて独創的なシステムではないものの、それまで同社で推奨されてきたグランツーリスモ(長距離走行特化の高性能車)志向の物とは一線を画すストイックでレーシーなセッティングは、当時コケットよりも遥かに優れていると評された。
アクセルを煽りさえしなければ素人同然の筆者でもまるでレーシングカーを操っているような感覚に陥らせてくれる。
全輪がガッチリと路面を掴み、思い描いたラインを外れることなくスーッとコーナーをなぞっていく感覚に思わずドーパミンが溢れてしまう。だがそこで調子に乗れば一巻の終わりだ。後輪が運転席をアウトから追い越し、逆ハンドルでカウンターを当てようがブレーキを床まで踏もうがもうバンシーは君のパートナーではない。
総評
さて、散々言っておきながら結局コケットとの比較じみた件が散見された事については申し訳なさを感じている次第である。それ程までに、アメリカにおけるスポーツカーというカテゴライズは貴重で比重が大きい物なのだ。
正直どちらも性能の面では大きな差はないと感じる。比較というかなんと言うか、と言った話であるが、両者の大きな違いはズバリ「どれ程ドライバーに寄り添ってくれるか」に尽きると思う。
50年代から現在に至るまで最上のスポーツカーを追及し続けてきた歴史あるコケットは、当然世界中のスポーツカーのアレコレを採り入れ、モータースポーツの経験をストリートに昇華させたコンセプトを注いだ作品である。大は小を兼ね、究極は平凡を兼ねる。圧倒的なパフォーマンスを誇りながら、常にドライバーが求める最善の走りをあくまでストリートで発揮する事を重視したその存在は、大衆車メーカーとしてトップに君臨し続けるデクラスの在り方を存分に反映させた“究極の市販車”だと言えよう。
対するバンシーは、はっきり言ってスポーツカー競走への参加は大きく遅れをとった誕生である上、ヨーロッパ系統のモータースポーツへの経験も皆無な中生み出された存在であるという異質なもの。その結果加減を知らない(フリをしていた?)エンジニア達がメーカーの全てをギッシリ詰め込んだハイパーマシンである。今更そこそこな性能のスポーツカーを生んだところで見向きもされないなら、余りにも振り切ったヤバい車でしか遅れを取り戻せないと考えたのかもしれない。
そこにはドライバーが安全・快適にハイパフォーマンスを楽しめるような配慮や思いやりは皆無だ。事実、生産開始の1年間ほどはABSや*TCS、エアコンが装備されておらず、ある日から慌てて装備され始めた有様である。生産台数もコケットより遥かに少なく、価格も高い。
そして何より、その性能を発揮する為にドライバーに委ねられるスキルのパーセンテージがコケットより圧倒的に高いのだ。
*TCS(トラクション・コントロール・システム)…発進時や走行時に駆動輪が空回りし、パワーが路面に上手く伝わらない事を防ぐ電子制御システム。
モータースポーツにおいてドライバーがマシンのスペックを引き出すことは勝利に大きく関わる要素だが、市販されるスポーツカーは、それを乗り回すオーナーに対しそのほんの一部の片鱗さえ見せることが出来れば生まれてきた意味は達成されてしまう。
あくまで普通乗用車の範疇から大きく逸脱せず、如何にその車が高性能たるかを感じさせるかが評価されるべき点なのである。だが、バンシーはそれを真っ向から拒否しているのだ。
1度この車に魅せられたオーナーは、その残された人生を脅かされようが、莫大な維持費を強要されようがお構い無しに、平穏な週末をこの車を乗りこなす為の時間に費やしてしまえる。
まるでそれは、1950年代にコケットが追いかけたヨーロッパ製スポーツカーの姿そのものではないだろうか。
[↑最後の最後に筆者の雨男ぶりが炸裂。運良く無事に帰還し今に至る。]
Vol.19 唯一にして絶対的強者-2014 Declasse Coquette "Invetero Performance Edition"-
デクラス コケット インヴェテーロパフォーマンスエディション
北米唯一のスポーツカー
過去に当サイトで紹介したトルネードやドミネーター、はたまたアルバニーやインポンテなどなど、アメリカを代表する錚々たる名車たち。
しかしながら、それらの中でもトップクラスの存在がいることを知らないアメリカ人はいないだろう。きっと読者の皆さんの中にもこの車を心待ちにしていた方も大勢いたと思う。
──ご紹介しよう。北米唯一にして最強のスポーツカー、デクラス コケットである。
幾人かの声が聞こえてきた。「最近のドミネーターも今じゃ立派なスポーツカーだろう」「デクラスほど大きな会社じゃなくとも、スポーツカーを製造しているメーカーはアメリカにもある」「ブラヴァド社のバンシーを忘れてないか?」……
ごもっともだ、ちゃんとわかっている。
ただ、先に言っておくとするならば、ブラヴァド社のバンシーも既に取材済であり、この記事のアップロードから程なくしてそちらも公開する予定なのである。そちらでは「アメリカ製スポーツカー問題」を深く掘り下げた内容を扱うため、こちらと合わせてお楽しみいただきたい。
(似た車種を横並びにして、あわよくば善し悪しを数値化して比較しようなんて野暮な事をする筆者ではない。好きずきの別れがちな車はきちんと分別してじっくりレビューするのがモットーである。乞うご期待。)
「スポーツカー」を知ったアメリカ人
コケットは例に漏れず非常に息の長いモデルであり、初代は1954年に誕生している。
当時、第二次世界大戦の戦地となったヨーロッパ各地に終結後も常駐していたアメリカ軍兵士が続々と帰国。その際、イギリスのオセロットやデュボーシー、イタリアのランパダーティ等、現地で目にした“スポーツカー”をアメリカ自動車メーカーにも販売するよう求める声が多く挙がり、それらを実際に国内に持ち込む者も現れるようになった。
それまでのアメリカ自動車業界における“自動車”の立ち位置といえば、さながら大人数・大積載での長距離移動手段か、自らのステイタスを啓示する存在としての物が殆どで、「優れた走行性能を楽しむ為だけの、少人数しか乗れない高価格な自動車」と言ったものは一切造られていなかった。
その存在にデクラス社はいち早く目を付けた。
それが、1953年にプロトタイプが発表され、翌年にすぐさま発売が開始された初代コケット。
[↑たまたま取材地近くで遭遇した1954年式コケット。ホットロッド全盛期の中心的存在でもあったため、今尚多く流通するカスタムパーツに彩られた個体をよく見かける。]
2シーターレイアウトに全グレードオープンカー、流美なボディラインに低く構えたスタイルで如何にも速そうな印象を与えたが、その実態はさながらスポーツカーのイメージを押し出した「雰囲気車」のような感じは否めず、本格的なスポーツ走行を求めたユーザーの琴線に触れるものではなかった。
搭載されたエンジンも1920年代製の流れを存分に汲んだ120ps前後の直列6気筒エンジンで、それに組み合わされた2速ATも相まって、最高時速は100マイルすら怪しいものだったという(当時のオセロット社製スポーツカーは既に120マイルの壁を突破していた)。
それだけではない。当時最先端技術と謳われたFRP製のボディパネルも生産管理体制が整っておらず、熱や乾燥で容易に歪みやヒビ割れを引き起こし、工場出荷前から既にボディのチリ合わせが怪しいモノも散見された有様だった。
同時期にライバル社のヴァピッドも2シーターオープンスポーツカーの「ペヨーテ」を発売するが、コケットよりもスペシャリティカー志向が強かったモデルであり、最初のモデルチェンジの時点で既に4ドア車に作り替えられてしまった。他のブランドも同様にだんまりを決め込み続けた。
このような問題からも、いかにアメリカ自動車業界がスポーツカーを造る為のメソッドを持ち合わせていないか、また高価で実用性の少ないモデルに投資する事はリスクマネジメントの観点から避けられ続けたかがわかる。
しかしながら、デクラス社はめげることなくコケットの改良に日々勤しみ、果敢にモータースポーツに挑戦。ヨーロッパ各地のレースに出場しては本場のスポーツカーに苦しめられながら膨大な量のデータを蓄え、昇華し、最終期のマイナーチェンジ時にはついに300ps近いパワーを備えたV8エンジンを装備。充分な戦闘力を得たコケットは様々なレースで活躍し、アメリカ国民に“真のスポーツカー”の印象を植え付ける。
2代目コケットからはその根底にあったスペシャリティカーとしてのコンセプトをかなぐり捨て、空力特性に極限まで特化したエッジィなボディと400ps近い大排気量V8を搭載した正真正銘のスポーツカーを製造することができるようになる。
最新の2014年モデルまでハイパフォーマンスのアメリカ製スポーツカーという地位を揺るぎないものにすることに成功したのだ。
今回取り上げるコケットは最新式の2014年製モデルの中でも最もハイパフォーマンスな「コケット インヴェテーロパフォーマンスエディション(IPE)」。
世界各地の耐久レース・GTレースでグロッティやオセロット、フィスターらと真正面での殴り合いを繰り広げ、幾度となく優勝に輝いたデクラス社専属の最高峰チューニング部門「インヴェテーロ・パフォーマンス・ディビジョン」が手がけたモンスターマシンである。
基本的なスペック
販売期間:2014年-
ボディタイプ:2ドアクーペ
乗車定員:2名
エンジン:6.2ℓ 16バルブV8 OHV スーパーチャージャー
最高出力:659ps
駆動方式:FR
トランスミッション:7速MT、8速AT
サスペンション:前後ダブルウィッシュボーン
全長:4,515mm
全幅:1,970mm
全高:1,240mm
ホイールベース:2,710mm
車重:1,610kg
「マッスルカー」とは何が違う?
皆さんも好きだろう。「マッスルカー」というモノが。
その起源は1960年代。「若者でも買える安価でコンパクトなクーペに、不釣り合いとも言えるハイパワーなエンジンを載せた車」というコンセプトは今となっては姿をそれなりに変えてはしまったが、それらが魅力的であったことは今も昔も変わらない。
「アメリカ製でハイパワーな車なら全てマッスルカーなのでは?」。正直、完全に否定はできないと考えている。アメリカがヨーロッパのスポーツカーを本格的に意識しだしたのはそう昔の話ではなく、その上それらと対等に勝負できる車は決して多くはないと言えるからだ。
結局のところ、各メーカーが出したあらゆるハイパフォーマンスな車達は、実用車の姿を完全に捨てきれたモノは無いに等しく、どんなにハイパワーでも後席とラゲッジスペースとエアコンと柔らかめなサスペンションは頑なに手放さない場合が多い。速さのためにあらゆる犠牲を払うことを厭わないヨーロッパのスポーツカー勢を前にしてしまうと、やはりその隙を突かれてしまうのである。
だが我々は、そのなんとも言えない中途半端加減というか、ツギハギな感じにどうしようもない魅力を感じてしまうのだ。不思議なものである……。
では、コケットをご覧いただこう。
──人は2人しか乗らない、ラゲッジスペースはカーカバーでパンパン(しかもかなり丁寧に畳まないと入らない)、乗り降りに一苦労する程車体が低い。
その上なんと言っても、そのアグレッシブで他を寄せつけないほどエッジの効いた流線型なボディラインはスポーツカーのそれで無ければ何だと言うのだろうか。
[↑ただでさえバツグンの存在感をさらに引き立たせるカーボン製エアロパーツの数々。]
初代で痛い目を見たものの、日々の改良を経て今日までFRP製ボディを貫き通したデクラス社に拍手を。もちろん各部に歪みやズレのひとつもなく、奥深いパールセントを持つダークレッドの丁寧な塗装も相まって実際に手で触れるまでFRPだとは気づかなかったほど。それでもなお車体重量は1600kgを超える。
[↑バッサリとソウドオフされたテール部は、下方に行くにつれリアタイヤ方向に直線的に収束していく独特なスタイル。こちらも脈々と受け継がれるコケットのデザインコンセプトの一部だ。]
[IPEの為に用意されたカーボン製ホイールはボディカラーに合わせたモールディングが施される。タイヤはアトミック製スポーツタイヤ・フライラップZPを標準装備。]
[↑通常モデルのコケットは写真のようなタルガトップ状態にする事ができる機構を備えているが、ボディ剛性や車重の観点からIPEには用意されておらず、代わりにドライカーボン製ルーフを装備している。]
[↑INVETEROの“INV”を模した意匠のエンブレムがノーズに誇らしげに光る。このモデルのみに許された特権だ。]
実際に乗ってみた
いよいよご対面だ。高鳴る鼓動を抑えつつ車内へ。
その派手なエクステリアに比べ、インテリアはかなりシンプルにまとめてあるというのが第一の印象。そしてなにより、正真正銘スポーツカーの“コクピット”なのだと感じたのが強い。
アシンメトリーのダッシュボードは全てのスイッチ類がドライバー側を向いており、「この車の主導権は全てドライバーが握っている」と啓示しているようだ。
その点ステアリングは昨今の基準に基づいたエアバッグを搭載しており、それは助手席側も例外ではない。スウェード調のバケットシートの周りには余計なクリアランスはなく、居住空間の割に少々窮屈に感じる。これこそがスポーツカーの運転席だろう。
シートに腰を埋める(というか、滑り込ませる)。やはりクラッチはそこそこに重たく、何度も何度も足を往復させ、クラッチミートを体に刷り込んでいく。
さあ、獣を起こす時間だ。
ボタン一つで起こされた獣は、寝起き一番、凄まじい咆哮を挨拶代わりに轟かせた。筆者が最も愛す、V8OHVの甘美な咆哮だ。
ドロドロドロドロ……と、地響きのようなアイドリングで車体を微かに揺らす。鍛造アルミ製ピストンやチタン製吸気バルブを備えているとは言え、2バルブOHVは変わらず歴史を刻んできた重みのある音を聞かせてくれる。この時代にハイパフォーマンススポーツカーのエンジンにこれをチョイスしたデクラスに敬意を表したい。
自社製の8段ATも設定されるものの、今回のテスト車は7段MT仕様。0-60mph加速タイムは、MT仕様が3.2秒でAT仕様が2.95秒という発表値。このモデルもATの方が速い……というより、昨今のスポーツモデルはほとんどがこうした傾向で、「わざわざ面倒で、遅い方を選ぶのか」と言われるのでは、MT派はますます肩身が狭くなってしまいそうだ。
しかし、実はそうしたタイム差は、変速ロスが影響しているわけではない。このモデルのMTは、1速ギアが60mphまでをカバーするハイレシオの持ち主であるためだ。
ポジションによっては手首の動きのみで操作が可能な、思いのほかに優れたフィーリングのシフトを操りつつ、60mph走行時のエンジン回転数を読み取ると7速が1200rpm、6速が1800rpm、5速が2100rpm、4速が2600rpm……と、ここまでが3000rpm以下でクリアできてしまう。
さすがに、“クルージングギア”の7速ではさしたる加速は利かないものの、それより下のギア位置ではこうした回転数でも、それなりに実用的な加速力が得られることも確認できた 。
Xブレーシングを備えたアルミニウム製フレームは従来のモデルより60%の剛性UPを果たしたと言い、トランスアクスルレイアウトの持つ理想的な前後重量配分と相まってそのハンドリングは非常に素直でシャープ。
特にコーナーから脱出する際の加速や、急減速からのコーナー進入などバランスが崩れがちなアプローチをしても、多少のアグレッシブさを残しつつも完璧にこちらの要求に答えてくれる。
“旧態依然”、“古きよき”の言葉が似合う、もはやアイコン化されたと言っていいOHVエンジンシステムにばかり注目がいきがちなのはやむを得ない。しかし、コケットは非常に優れたコーナリングマシンであることも忘れないで欲しい。
[↑今まで取り上げてきた車たちはスポーツカーとは言い難いクセのあるモノが多かったため、筆者はこの車でコーナーを抜けるのが楽しくて仕方がなかった。]
ややオーバースピード気味にコーナーへ進入し、しっかりとブレーキング。もちろんタイヤがロックすることもなく、鼻先がふらつくことも無い。
ブレーキから足を離し、慣性に任せてコーナーをいなす。ひとたびアクセルを煽れば、テールがグイッと前に出ようとするオーバーステアの感覚。FRスポーツカーでしか味わえないフィールだ。
ストロークが長く重いクラッチにコテンパンにやられながら街を抜け、ハイウェイに乗り込む。
コケットは「サイレントモード」という形態を持っており、ボタン一つで一気にエンジンが静かになる。3速以降での発進をすれば、深夜の住宅街でならまず隣人トラブルにはならないほど静かである……が、3500rpmを超えた途端勇ましい咆哮を響かせるため注意が必要。
耐久レースやGTレースでヨーロッパ製スポーツカー相手に暴れ回ったとはいえ、やはりターゲットは長大な都市間道路を股にかけて走るアメリカ自動車市場。クルージングギアの7速に入れてしまえば、非常に静かでストレスのない巡航を提供してくれる。
スウェード調のシートはバケットタイプとはいえクッションは厚く、ハリのある表面が体にフィットして支えてくれる。速さのためにあらゆる犠牲を払うことが当たり前の高性能2シータースポーツカーで、この乗り心地は世界屈指の出来ではないだろうか。
道路状況によって車速を落としたり、逆に瞬発的な加速で前の車を追い越したりといったシーンもあるだろうが、660ps・トルク89.8kgmのパワーを誇るスーパーチャージャー付きエンジンは、7速のままでその全てをこなしてしまう。渋滞に巻き込まれさえしなければ、合流から降りるまでシフト操作をする必要すらないのだ。そう考えると、ハイウェイ走行時のカタログ燃費マイル/22ガロン(ℓ/9.4km)というまずまずな数字にも頷ける。
最初目にした時は「7段もあってこのご時世にパドルシフトではなくレバーシフトかぁ」なんて思ったものだが、どちらかと言えば「スポーツ走行ギア6速+高速巡航ギア1速」という捉え方が正しいのかもしれない。だとしたら、圧倒的にレバーシフトが好きな筆者はとても嬉しい。どうか生き残ってくれ、レバーシフトよ。
また、その1.2m程度のペシャンコな車体からは想像もつかないほど車内からの見通しが良いのも素晴らしい。
2m近い車幅の割にかなり絞り込まれたルーフはドライバーにそれなりの圧迫感を与えるが、節々が隆起したカウルは視界に積極的に入ってくるためボディ周りの距離感も現実味があり、死角の多そうなリアカウル周りもサイドミラーでそれなりにカバー出来ていると思う。とある機会で乗ったベネファクター・シュラーゲンの「ボディサイズの現実味の無さ」に比べると遥かに体との一体感がある。
総評
個人的見解や偏見や趣味性全開の当サイトのレビューだが、「コケットはアメリカを代表する車」だという意見に反対の読者はきっといないと思う。
これまで様々な国産車を紹介してきたが、アメリカ自動車メーカーのビッグネーム達のその多くに言えることは、「あまりに色んな顔を持ちすぎていてメーカーの固有名詞的車が少ない」ということに尽きる。
例えば、グロッティ、ペガッシ、オセロットのようなスポーツカーしか造らないメーカー、ベネファクター、ウーバーマフトのような高価格帯の車しか造らないメーカー、ガリバンターのようなSUVしか造らないメーカー…と言うような、あまりに明確すぎるブランドコンセプトを掲げるという尖った経営方針をとることにメリットを感じていないのだと思う(結局のところそれらもグループ経営戦略のひとつに過ぎず、またデクラスで言うところのアルバニーやインポンテのような例もあるが、あまりに親元の介入・グループ経営の印象が強い)。それはよく言えばフットワークが軽く器用でユーザー志向だが、悪く言えば見境がない、コダワリがないというイメージを匂わせてしまう。
だがその点、コケットはあまりに特異だ。
正直、デクラス社はコケットを生み出した当初はここまで自社を、ひいてはアメリカを代表する車になる事は予想できなかったに違いない。
その始まりはあくまでヨーロッパ製スポーツカーの猿真似とも言えるもので、何ともマッスルカーの起源に遠からずというもの。下手をすればそれらと同じ中途半端な10秒レーサーだと嘲笑されていたかもしれない。
だが、コケットのあまりに微妙な出来に辟易とし、ヨーロッパに赴いたコケット開発チーム。ゼッケンの付いたファミリーカーがオーバルのダートトラックをグルグル回るようなレースごっこではなく、エンジンにタイヤが付いただけのスポーツカーが本能むき出しで鎬を削る“本当のモータースポーツ”を目の当たりにし、それらを入手し徹底的に研究し尽くした。
「自動車産業界の絶対的王者」だったデクラスが、経営規模もセールスも桁違いに小さいヨーロッパ車メーカーを真剣に研究するという、当時では一切考えられないような英断。
結果、非の打ち所のない走りと抜群のユーザビリティを高い水準で両立させた名車・コケットシリーズを60年以上に渡り造り続け、アメリカ人に「走り」という最高の娯楽を今日まで提供してくれるデクラス。その贅沢で、飽くなき人類の叡智の結晶がコケットなのだとしたら、アメリカを代表する車である事実は未来永劫変わらないであろう。
[↑乗ったら最期!アクセルを離すのが嫌になってしまうだろう。この代からコケットは、サンアンドレアス州における自動車保険料ランキングで「ブラヴァド・バッファローS」を抜いて1位に躍り出た。]
[↑オラオラ系フェイスも、食事中は心なしか表情が穏やかである。]
Vol.18 受け継がれた“最高級”のプライド-1972 Dundreary Virgo “Classic Edition”-
ダンドリアリー ヴァーゴ “クラシックエディション”
アルバニーからダンドリアリーへ
「ヴァーゴ」という車は既に当サイトで紹介したアルバニー製のものがあるのでは?そう思う方もいるだろう。
1967年に誕生しアルバニーのエグゼクティブカー・ラインナップの一翼を担った名車「ヴァーゴ」。長大かつエレガント、そのスペシャリティな存在は一時代を築き、アルバニー社の飛躍に一役買った事は周知の事実であろう。
ではなぜその「ヴァーゴ」の名を冠する車がダンドリアリー社から発売されているのか?
あらゆる障壁や問題を乗り越え、アルバニー社製のものですら凌駕する程の評価を得るまでになったダンドリアリー製ヴァーゴの生涯を辿り、その実態に迫る。
基本的なスペック
販売期間:1972-1976年
ボディタイプ:2ドアハードトップ
駆動方式:FR
乗車定員:5人
エンジン:460cuin(7.5ℓ) V8 OHV
トランスミッション:ターボグライド3速AT
ホイールベース:3,060mm
全長:5,918mm
全幅:2,027mm
車体重量:2,390kg
ダンドリアリーとは
この車の話をする前に、そもそもダンドリアリーというブランドを存じなかった読者もいないとは限らないため、概要を辿っておこう。
ダンドリアリー社は1938年にデクラス社が一から立ち上げた自動車メーカーである。
当時から既に北米自動車業界はグループ化が著しく、特に現在まで続くデクラス・ヴァピッドの二大巨頭のいがみ合いは熾烈を極め始めていた。
双方は客層ごとにターゲットを絞ったブランド展開を行い、ダンドリアリーが位置していたポジションは、大衆向けのデクラス、最高位のアルバニーの間を埋める「上昇志向のある中流層」「余生を過ごす壮年層」「富裕層の足車」といった趣の物であった。
リリースした製品たちは構造面ではあくまでデクラス社製車両の拡大強化版と言えるもので、デクラスとほとんど同一のシャーシに、当時からのセールスポイントであったハイパワーなV8エンジンをさらに排気量拡大したものをラインナップに加え動力性能の優秀さを全面にアピールした。
エクステリアでは、デクラスと同様なトレンドを用いながらもボディプレスの曲面仕上げが繊細になり、モール類も増やされている傾向にあった。この傾向は戦前型の設計を踏襲した1948年モデルまで一貫していた。
最高速度90マイル級の性能は、当時競合する中級グレード車各車と十分に比肩しあう物であったという。
第二次世界大戦を経て、1950年代の自動車産業黄金期を迎える時期、次第にダンドリアリーはデクラスのスペシャル版グレードの様な立ち位置から、グループ最高位アルバニーの弟分的なポジションに移行していく。
[↑ヴィゲーロベースのクーペ「ヘレンバック」。同じベースのインポンテ製ルイナーがスパルタン&スポーティに振ったのに対し、各種豪華装備を見に纏い富裕層のコミューターとしてヒットした。]
共通のプラットフォームを使用するものの、デザインに多少の変更を加え別ブランドで高額で発売するという手軽な手法は商業的にかなりの成功を収め、後に「カリン」が「エンペラー」を立ち上げる際にも模倣された。
しかし、その戦略は裏を返せば「中間位置のブランドに中途半端で曖昧な存在というイメージをもたせやすい」という致命的な副作用も孕んでいた。ダンドリアリーはその長い歴史の中で、「デクラスの上位機種」という性格と「廉価版アルバニー」という性格の間を揺れ動いていたが、やがてそれらのブランドとの明らかな違いを打ち出せなくなり、販売不振に見舞われる事となる。
2000年代に入ると、ただでさえ苦戦を強いられていた国産メーカーらと共に売上下落に歯止めが効かなくなり、最盛期の半分を割る20万台にまで落ち込んでしまう。
北米でも2007年末に最後のダンドリアリー専売ディーラーが閉店し、2011年1月にその73年もの歴史に幕を閉じたのだ。
養子に出されたヴァーゴ
さて、話をこの車に戻そう。
発売された1972年と言えば国産車にとっては1950年代から続く好景気真っ只中であったが、その反面各メーカーはあまりに熾烈なしのぎの削り合いの中で試行錯誤と葛藤の日々を過ごしていた。
新しい車種が生み出されては消滅を繰り返し、メーカーが必死でキャッチしたユーザーからの要望は翌日の朝にはゴミ箱行き、そんな時代だったのだ。
その渦中でデクラス社は自身が抱える各ブランドのテコ入れに日々奔走していた。
当時、グループ内最高位のアルバニーは売り上げ面で多大な利益を及ぼしており、本来ダンドリアリーが売り込むべき中流層ユーザーも「どうせなら無理してでもアルバニーを」と考える傾向にあったという。
そのため、デクラスはダンドリアリーのグレードポジションを引き上げ、アルバニーとセットで売り込む方針を採った。販売店もアルバニーとダンドリアリーのどちらも扱うようにし、客側の要望やバックグラウンドを聞きいれ、適すると判断されたどちらかを熱心に売り込むという手法に舵をとる。
当時グレードも価格も青天井で上昇していたアルバニーはショーファードリブン(お抱えの運転手が運転し、オーナーは後席に乗る)としての性格を強める事が適切と判断され、代わりにドライバーズカー(オーナー自身が運転する車)として売り込まれたのがダンドリアリーである。
そして1972年、アルバニーが1970年まで生産していたスペシャリティ2ドアクーペ「ヴァーゴ」の次世代モデルを、ダンドリアリーブランドから発売する事が発表される。
グループ内ブランドとはいえ、別ブランドから後継モデルを、しかも同名で発売するという世界でも稀に見る例であるが、「別ブランドから別の名前で発売してしまうとかつてのヴァーゴを求めていたユーザーが離れてしまうのではないか」というデクラス社の意向が反映されたためと言われている。
実際に乗ってみた
いよいよ実走に入る。
乗る前にエクステリアをじっくり見てみよう。
この時代の車は概ねそうだし、先代のアルバニー製ヴァーゴも当然そうだったが、余りにも、余りにも大きい。
カタログの数値で驚き、実際に見て驚き、乗って驚く。6m弱ある全長に2mを超える全幅。アルバニーヴァーゴは幅こそ変わらないが全長は5,600mmだったので、実に300mm以上も長くなっている。かなり低いルーフも相まってその存在は付近の空気感を張り詰めた物にすらしてしまう。
[↑先代のダイナミックなボディラインは当然踏襲されているが、どちらかと言えばエレガントよりゴージャスと言った方向に進化している。悪い言い方をすれば少々「下品」とも言えるだろう。]
[↑スイッチ1つで動く収納式のラジオアンテナとビニールレザー張りのルーフ。ボディカラーは当時人気のペールブラウン。]
今回取材した車両は「ヴァーゴ クラシックエディション」と呼ばれる個体である。当時ヴァーゴは多少の仕様違いで様々なエディションを用意しており、中でも人気だったのがこのクラシックエディションである。
“クラシック”と名は付いているが、機構が古いわけでもクラシックを聴くのに適したスピーカーが付いているわけではない。
スタンダードモデルとの大きな違いは、カラーチョイスの可能なビニールレザー張りのルーフ、前輪ディスクブレーキ、電動格納式のラジオアンテナである。
ちなみに全グレードハードトップのみで、先代にあったコンバーチブルは用意されていない。
[↑大きく張り出したクローム仕上げのサイドリム。ウインカーが見えなくなるという批判を受け、'74年モデルからサイドマーカーが装着されるようになる。]
[丸い下部と四角い上部を持つ独特なプレスラインと、それを二分するクロームのモール。この頃には既にホワイトリボンタイヤは廃れていた。サイドミラーには曇り防止の熱線が入れられている。]
先代同様センターが大きく張り出したボンネットの下には、ボディサイズに違わぬ巨大なV8が鎮座する。
2バルブキャブレターに圧縮比8:2:1で最高出力は217ps。数値的にはかなり大人しくなった印象が否めないが、当時のカタログ上に並ぶ数字は最高速度120mph(190km/h)、0-60mph(0-100km/h)10.8秒と、同車格帯の中でも優れている方ではあった(但し燃費は4.8km/ℓ)。
その長いドアを開け車内へ。
ボディカラーと同系色で統一された総レザー張りの重厚感溢れる車内。既に高級車では一般的になっていたカーラジオやエアコンのスイッチ類は全てセンターコンソールに集約されている。
多くの同世代の車達が前席ベンチシートを採用している中、あえて独立シートを採用。横幅いっぱいに分けて配置されているため、広大なパーソナルスペースを感じることができる。
シートに腰を埋めると、心地はさながら高級ソファーのそれである。国土が広く、どこもかしこもきちんと舗装されているとは限らないアメリカの道路事情では、車はすべからくグランドツアラー(長距離航続に適した車)である必要があるわけだが、長時間座っていても疲労を感じさせにくいシートはアメリカ車が持つべくして持った揺るぎようのない特色であろう。
──が、しかし。
シートポジションから真っ直ぐ前に目をやる。
一体どこまでがボンネットなのか、どこまでがボディサイドなのか、まるで見当がつかないのだ。
─ゴージャスな装飾に身を固めたドレスでも、着た本人は右を左を絶え間なく確認し、裾を踏まれたり、ヴェールがシャンパングラスを倒したりしないか気を配る必要がある─。
6m弱の全長に対してホイールベースは3mちょっとしかなく(それでも余りにも長いが)、見た目の割に小回りが効く反面、残り3m弱はフロントタイヤの前とリアタイヤの後ろに贅沢にもたっぷり余裕を持たされて貼り付けてある。
つまり、対向車や正面の壁に突っ込む事を恐れず、予想よりワンテンポ遅くハンドルを切る必要があるという事だ。でなきゃ、左側の歩道に生えている信号機にそのクローム仕上げのくもり止め熱線入りサイドミラーを叩き折られることになる……
エンジンをかける。
セルモーターの音がやや大きい。
「ビーーーー」という音がどこからか聞こえキョロキョロと辺りを見回す。どうやらラジオアンテナが伸ばされる音のようだ。
エンジンサウンドは大排気量低回転のV8のお手本のようなもの。決して耳障りな音量ではないが、ピストンが上下運動を繰り返すのが全身に伝わってくるようだ。
それでは走ってみよう。
そのトルク、実に365lb-ftを誇る460cuinV8はデクラス製中型トラックのプラットフォームにも搭載されていたもので、217psという頼りなさげな数字からは想像もつかない程の力を持っている。アクセルを床までいっぱいに踏み込めば、こんな風にタイヤから白煙を立ち上げる事もやぶさかではないのだ。
テスト走行は郊外の林道からスタート。かなり傾斜のきつい登り坂もグイグイ登っていく。エンジンは変わらず大人しい音を保ったままだ。
オートマチックトランスミッションのキックが強めなところは、まぁ年代相応といったところだろう。趣として楽しむ他ない。
フワフワ、というよりブヨブヨとすら言えるほどにソフトな乗り心地はかなり賛否両論別れるところ。
ルート66を突っ走るならいいかもしれないが、街乗りだと少々ふわつきすぎな感も否めないだろう。
板バネ特有の突き上げ感は薄いが、反面、のんびりとワンテンポ遅れるような伸縮を繰り返す為、特に後席だと長時間のシティクルーズは苦痛を感じる人もいるかもしれない。乗り味から考えるに、恐らくそのゆとりあるシャーシ構成を活かし、前後に長いタイプの板バネを採用していると思われる。
しばらく涼し気な山間部をゆったり流す。
パワーステアリングの感度が非常に強いと感じる。
トラックにすら搭載されていた重厚な大排気量V8が鼻先に鎮座しているとは思えないほど、ハンドルは軽々と周り、ボディサイズに対してやや頼りないタイヤが慌てて向きを変える様が伝わってくるのだ。
頭では分かっているが、やはりハンドリングのテンポが難しい。辛うじて視界に入っている、張り出したボンネットのプレスラインが、自分の予想よりもうんと内側をなぞって進んでいく。
思い切って、トラックの様に曲がり角の前で一旦逆ハンドルを切った方が却って安全かもしれない。
この車に軽快な乗り味を求めるオーナーは居ないだろうが、あえて言うとすれば、かなりフロントヘビーな上にソフトなサスペンション、小さめのタイヤ、高めの車高、軽いステアリングはラフな運転をするとかなりヒヤヒヤさせる。
[↑細い道でのすれ違いは非常に気を使う。ここで堂々とできるオーナーだけがこの車に相応しいドライバーだと言うことか。]
ハイウェイに乗り込んでみるとしよう。
郊外では低く大人しい音しか聞かせなかったエンジンだが、合流での加速の為にアクセルを踏み込めば、荒々しく豪快なV8サウンドで楽しませてくれる。しかし、8本の巨大なピストンがエンジン内で行き来しているとは思えないほど振動は少なく、重厚なボディパネルと優秀なエンジンマウント、フロントサスペンションがきちんと仕事をしてくれているようだ。
搭載されている3速ATの味付けも丁度よく、スピードに乗ってしまえば現代の車に負けず劣らず、極めて快適である。長いホイールベースと広い車幅がもたらす直進安定性は非常に高く、電子制御に頼らずともストレスのないクルージングを提供してくれる。
当時のヨーロッパ車は当たり前のように5速のマニュアルトランスミッションを備えていることが当たり前であったが、アメリカ製の車は未だに3速オートマチックが定番であった。一定の速度で走り続ける場合には、変速の頻度が少ない分却ってそちらの方が快適であるという判断である。正直、カタログ値の最高速度120mphは本当に出るのか怪しいところではあるが…。
また、クラシックエディションに搭載されているフロントディスクブレーキ(当時のデクラス社上層部内ではドラムブレーキの方が優れているという風潮があったらしく、標準モデルには用意できなかった)もなかなかの制動力を持っており、2.4トンの車体をきちんと減速させる力を持っていると感じた。
郊外や街と街を繋ぐフリーウェイでの快適なコミューターとしてなら大して不便を感じることなく使え、現代の車より大きく劣っている点は(燃費以外で)皆無だ。
[↑巨大なグリルとそれに応じた巨大なラジエーターを搭載している為、冷却効率は抜群に良いのだろう。年代物のパワフルなエンジンでも、温度を気にしながら走るシーンは一切無かった事を思い出す。
古い国産車についてまわるオーバーヒート対策問題は、「巨大であればいい」というシンプルな回答がはじき出された結果になった。]
総評
さて、間が長らく空いたとはいえ、アルバニー・ダンドリアリー双方のヴァーゴをどちらも取り上げることが出来た当サイト、皆さんはお楽しみ頂けただろうか。
アメリカ自動車業界で最も優れたデザイナーだと言われたBilly Mitchellが手がけ、スペシャリティ・パーソナルカーの礎を築いたアルバニー製ヴァーゴと、数多の企業戦略によってバトンを託され、独自に進化したダンドリアリー製ヴァーゴ。
巨大で、豪華で、何より特別な存在感を持つ個人向けの高級2ドアクーペなど、はっきり言ってこの時代に一切必要とされていないし、必要とされる時代が訪れることも二度と無いと断言できる。
──だが、失われたものだからこそ、今新たにもたらされる価値があるのではないかと我々は考えるのだ。
車自体が持つ価値というモノは、時代が進むに従って常に変化を経てきた。パーソナル向けから大人数乗車が当たり前になり、より環境に優しく、より安全で、より運転がしやすい車が優れていると、そういう時代なのである。
その全てに対して逆を行くこれらの車は、もはや無用の長物以外の何物でもないと言えてしまえるだろう。だからこそ、その存在に価値を見出し、受け入れ、愛せる人が1人でも多く現れてくれることを我々は願うばかりだ。
──現に、その魔力に取り憑かれた人々が、世界中でこれらの車を未だに手放さず、堂々と胸を張って乗り回しているのだから。