Vol.10 合衆国のSUV -1988 Declasse Rancher XL-
デクラス ランチャーXL
アメリカを代表する名作SUV
1980年代、翼を抜かれたマッスルカー達に変わってアメリカの若者に持て囃されたのは、頑強なラダーフレームボディにパワフルなエンジン、大人数が乗れて荷物も乗り、悪路もガンガン走れる四輪駆動のワゴン「SUV(Sport Utility Vehicle)」だった。当然、各社魅力的なモデルを次々市場に送り込み、様々なSUVがしのぎを削った。これには、「小さい車体に大パワーを発揮するエンジンを載せるなんて馬鹿げている」というマッスルカー全体への世間的なバッシングに対し、「大柄なボディの四輪駆動車が悪路を走破する為には大パワーのエンジンは必要不可欠である。」という免罪符のような理屈をまかり通らせ、失われたマッスルカー・スピリットを取り戻そうとしたメーカー及び消費者達への1つの救済でもあったという。その上、当時は「作業用車両」としての扱いだったため、かかる税金もかなり安かった。
その激化したSUV競走の中でも、一際高い評価を受けたモノが、今回紹介するデクラス ランチャーシリーズである。
基本的なスペック
販売期間:1973-1996年(1989-1996年はブラジル生産)
ボディタイプ:2ドアSUV、4ドアSUV、4ドアピックアップ(ブラジル生産)
乗車定員:5-9名
駆動方式:FR/4WD
エンジン:ディーゼル-5.7ℓV8、6.2ℓV8、4ℓ直列4気筒(ブラジル生産) ガソリン-5.7ℓV8、6.6ℓV8、7.4ℓV8、4.1ℓ直列6気筒(ブラジル生産)
変速機:3速MT、ターボハイドロマティック3速AT、ターボハイドロマティック4速AT
ホイールベース:3,290mm
全長:5,565mm
全幅:2,022mm
働く車が本格派SUVに
デクラス ランチャーの歴史は非常に長い。既にデクラス社の設計部では1933年に構想は練られていたとされる。初代ランチャーは1935年に発売されており、2007年に後継モデルのグレンジャーにバトンを渡すまで世界中で人気SUVの座を獲得し続けた。
まず第1に、ランチャーは最初から高性能なクロスカントリーとして誕生した訳では無い。初代の1935年モデルの設計思想は完全に商用のそれであり、実際安価で頑丈な運搬車両として爆発的な人気を得ていた。当時多くの車がフレームに木材を用いていた中オールスチール製で制作され、そのタフさを買われ第二次世界大戦期でのアメリカ軍にて軍用車両のベースとしても重用された。
↑[1946年、第2世代にあたるランチャー。手頃なサイズと安さ、積載量の多さで大ヒットし、国民的自動車となった。]
その後およそ40年近く、実に6代にわたり手頃で丈夫な中型の運搬車両として一定の人気を獲得しながらデクラス社のラインナップに登場し続けた。
転機が訪れたのは、6代目のランチャーの頃。この代からデクラスは、南米及びオセアニア市場向けの車両を生産するべく、ブラジルに工場を設立していた。そのブラジル生産ランチャー 、“ヴェラネイオ”が南米市場で空前のヒットを記録する。
↑[ブラジル産ランチャー“ヴェラネイオ”。テール周りにステーションワゴン時代の面影を見ることができる。]
ヴェラネイオは、相変わらずスタイルが低く、商用と割り切り運転席側には後席ドアが設けられていなかった3ドアステーションワゴンであった6代目ランチャーに、ブラジルに設置された設計部が独自のテイストを加えた車だ。4WDモデルをベースに、低かった車高をかなり高くし、幅の広いラジアルタイヤを履かせ、ドアもしっかり4枚、後席も立派なモノが装着された100点満点のSUVだ。丁度現在の世間一般のSUVと似通った仕様であり、南米のみならず北米本土でも人気を博し、個人で輸入したり、自らの手で北米版ランチャーをリフトアップする者も現れた。
1970年代になると、同カテゴリーのライバル車の乱立、オイルショックによる自動車産業の冷え込み、中型の運搬車両というカテゴリーの需要の低下によりリース率は著しく減少、ランチャーブランドの消滅が囁かれていた北米デクラス本社の設計部は、すぐさまブラジル設計部の人員と資料、ヴェラネイオの実物を取り寄せ、7代目ランチャーの設計に取り掛かった。
──コンセプトはもちろん、中型のステーションワゴンなどではない。
↑[フラットブラックとブリーチブラウンのツートンカラー。カラーバリエーションも豊富で、ツートンカラーの組み合わせの通りは膨大な数になった。]
7代目ランチャーを設計するにあたり、プラットフォームは同社の中型トラックから流用、足回りやミッション関係は軍用車両すら参考にした。エンジンも初めてディーゼル仕様が用意され(生産工場のあったブラジルでのディーゼルエンジンの普及率を省みた結果である)、トランスミッションはデクラス社お得意のターボハイドロマティック。
華美な装飾を排し威圧感のある無骨なルックスを持つ、史上類を見ないほどタフでパワフル、信頼性も抜群なデクラス初の本格派クロスカントリーが完成した。そこには商用ステーションワゴン時代のランチャーの面影は無かったが、きちんと荷室の積載量を犠牲にすることなく立派なベンチシートを備えた内装は、運搬車両のノウハウと大衆車を長らく生産してきたデクラス社の譲れないセオリーであったのだろう。
↑[立派な後席を備えながら、最大限のスペース効率を発揮して与えられた広々としたラゲッジスペース。このモデルは独立シート+ベンチシートの5人乗りだが、オプション次第で3列+全列ベンチシートで最大9人乗りにまでできてしまう。]
↑[俗に「5マイルバンパー」と呼ばれる、北米の安全基準に則った大型のスチールバンパーが威圧感を与える。エキゾーストは下を向いており、多少の深さの水場に突入しても水が内部に入りにくい。]
↑[潔いほどリフトアップされた車体に、大きくはみ出すほど幅の広い巨大なタイヤが収められる。どれほど出ているか運転席からは全く見えないため不意の事故に注意が必要。]
2018年現在、SUVというカテゴリーは、各メーカーが販路の拡大を望んだ結果、かなり広い範囲の車種を指す言葉になった。当初の本格的なクロスカントリービークル以外にも、税制上有利なライトトラック、コンパクトなファミリーカーをベースに、少々高くした車高にチープなグリルガードやフォグランプ等を装着しただけのもの、そして近年最も需要のある、モノコックボディの高級ワゴン風のラグジュアリー思考のものや、セダンとミックスさせオンロードでの性能を重視したクロスオーバーSUVと呼ばれるものまで様々だ。
1980年代の本格派クロスカントリーブームを経験したカーフリーク達は、そういった都会派のSUVをしばしば「サッカーマムズ・ビークル(母親が息子をサッカーに送り届ける際に使う車)」と蔑称で呼ぶ。
実際に乗ってみた
それでは乗ってみよう。かなり高い車高は乗り降りに一苦労する。大柄なサイドステップもオプション装備に用意されていたようだが、ユーザーの多くを占めた“クロスカントリーガイ”達は、ステップ装着により車高が下がることを嫌いプレーンのままで乗る場合が多かった。
取材車はランチャーのラインナップ中最も大柄な「XL(Extra Large)」で、その全長は5.6m、幅も2mを優に超える。当然エンジンも強力なもので、6.6ℓV8が発揮するそのパワーに若者は心酔し、長年ランチャーと付き合ってきたオールドユーザーは度肝を抜かれた。
内装にもデクラスの美学を感じることができる。汚れても手入れの楽なビニールレザー張りのシートは、ペカペカした安っぽさなどひとつもなく、高級感あふれるブラウンで統一。スチールプレート製のメーターパネルとの対比が意外にもマッチしている。
リアシートはベンチながら3箇所に独立したクッションが設けられ、ゆったりと大人3人がくつろげる空間を生む。エアコンのスイッチ類も煩雑さを極力抑えたシンプルなもので、ラジオももちろん標準装備だ。
それでは実走行にとりかかろう。
エンジンをかけると、身震いがするほどの分厚い重低音を響かせる。ほとんどトラックのそれだ。ちなみに、70年代前半〜90年代というその長い販売期間のため、マイナーチェンジでの変更点で最も変化の多かった箇所がエンジンであった。当初キャブレターであったものが87年モデルより電子制御インジェクションが標準化されている。
シフトレバーのロック解除ボタンを押しながらドライブギアにいれる。発進。オフローダーではあるが尖ったギア比設定ではないようで、踏みすぎることがなければ比較的スムーズに走り出せる。
純粋なクロスカントリーだが都心部での使い勝手もきちんと考慮されている。SUV特有の視点の高さは周囲への視界がよく行き届き、スタイルの低いクーペやセダンより運転しやすく感じる。安全基準ギリギリいっぱいに大きなサイドミラーも足元の死角をカバーできており、オプション装備かアフターマーケットのフェンダーミラーまであればこの上なく安全なSUVと言えよう。
↑[都心部の混雑する道などでは大きくて少々気を使うが、郊外に出てしまえばその心配も減る。ごく普通のファミリーカーとして使うにはそこそこ勇気がいるが、趣味のレジャービークルとしては非常に優れている。]
それではこの車の本領が発揮されるオフロードへ向かおう。空は雨がパラつきはじめ、絶好のテストラン日和となった。
フィールドはしっかり湿った砂と砂利、少々の水たまりで最悪のコンディションである。後輪駆動のセダンならものの数分でスタックし、前輪駆動のコンパクトカーなら緩やかな上り坂すら登れないだろう。
ランチャーはトルクフルなV8と四輪駆動のコンビネーションで何の不安定さもなく砂利道をなぞっていく。そのあまりにも長いホイールベースは決してリムジンの真似事ではなく、電子制御もない時代の4WDが安定したオフロード走行を行うためのシンプルかつ最も的確なアイデアなのである。
アクセル全開で走ってみよう。
エンジンは轟音を上げ、四輪がギュルギュルと空転しているのがフレーム全体を通して伝わってくる。土煙が視界を包み…一秒、後ろから強く蹴飛ばされたように急加速。空転していた四輪はみるみるうちに砂利道にしっかり掴みかかり、気づいた頃にはまるで敷かれたレールの上を走っているような安定感に戻っている。トラックがベースの頑強なラダーフレームはこの程度じゃ車体をブレさせたりしないのだ。
総評
どこまでもアスファルトが続いている現代において、突然のように始まったラグジュアリーSUVブームに首をかしげていた読者も多いことだろう。が、よく考えてみてほしい。
昨今、昔のように気軽に自動車を保有することは難しくなっている。物価や石油価格の上昇や各種税金、保険金等の増額は誰の目にも明らかであるし、電子制御システムや安全設備が豊富になった自動車自体も値上がりして…と、挙げだしたらキリがないほど要因は存在する。その上で、「まあまあ車好きな人」達は、そう簡単に自分の趣味全開の車を持つことはできなくなってしまった。そこでSUVである。走りを犠牲にせず、家族5人がしっかり座れる車内に、週末のショッピングモール巡りにも耐えられる大きなラゲッジスペース。下手なセダンより俄然優れている。舗装路での走りを重視したスポーティなモデルも続々登場しており、ツーシーターの2ドアクーペを持てない父親層を取り込むことに大いに成功している。
では、本格派クロスカントリーはもうこれから注目されることはないのかと言えば全くそんなことはない。つい最近になって各社魅力的な本格派クロスカントリーの新モデルを多数発表しており、まだまだこのカテゴリーは我々を楽しませてくれそうだ。
ランチャーはFIB、ATF等の各種司法機関およびU.S.シークレットサービスに全面的に採用された初めてのSUVとして有名である。道路状況を選ばない高い走破性とパワフルで頑丈なエンジン、高い乗降性、銃弾からの盾になる上、近づくことすら躊躇われる威圧感たっぷりの大柄なボディに、ライフルやショットガン、防弾盾等を詰め込める積載量の多さを買われ、従来の背の低いセダンタイプの車両よりも優れていると評価された。こんなにも優れているコマーシャルはなかなか無いだろう。
この優秀なSUVは、そのスピリットを2007年に生まれた後継モデルのグレンジャーに遺憾無く継承しその役目をバトンタッチ、現在も多数の国家機関で幅広く採用され続けている。もちろん、その実用性も余すことなく継承され、新たに加えられた新技術が自動車としての完成度をより高め、今なお合衆国を代表するSUVとして君臨し続けている。
Vol.9 鉄のカーテンの向こう側 -1973 Rune Chebrek-
ルーン チェブレック
旧ソ連の国民的自動車
「旧ソビエト連邦の自動車メーカーって何がある?」なんて会話、日常ではなかなかしないだろうが、即座に答えられる人はほとんどいないだろう。
44年間もの間、長らく世界は鉄のカーテンで仕切られ互いに睨み合っていた。いわゆる冷戦である。我らがアメリカ合衆国は西側諸国の中心であり、対する東側諸国の中心は旧ソビエト連邦だった。
西側諸国のメンバーはアメリカ、西ドイツ、イタリア、フランス、イギリス、日本、大韓民国などなど、現在でも世界の自動車市場を担う名のある自動車メーカーを有する国ばかりである。
一方の東側諸国はソビエト、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、チェコスロヴァキア、東ドイツ、ポーランド。この面々なら、どうやら1番の工業国はソビエトのようだ。ソビエトの車が知られていないなら、その他の国の車はもっと知らなくて当然の話である。
旧ソビエト連邦及び東側諸国は、西側諸国の資本主義国家に対して社会主義国家である。国民は皆平等な賃金を与えられ、平等な生活レベルで暮らしている。当然自動車メーカーは全て国家が管理しており、そこに自由競争など存在しなかった。売れようが売れまいが、である。
その中で最も人気だったのがソビエト最大の大衆車メーカー、ルーン社製小型セダンのチェブレックである。情報統制が敷かれ、西側諸国に渡らなかった長らく謎のベールに包まれていた旧ソビエト連邦製の自動車、その正体に迫る。
基本的なスペック
販売期間:1972-1984年
ボディタイプ:4ドアセダン・4ドアステーションワゴン
駆動方式:FR
乗車定員:5名
エンジン:1.2ℓOHV直列4気筒、1.3ℓOHV直列4気筒、1.5ℓDOHC直列4気筒
変速機:4速MT
サスペンション:前 ウィッシュボーンコイル 後 固定トレーリングアーム パナールロッドコイル・マクファーソンストラットコイル
ホイールベース:2,425mm
全長:4,110mm
全幅:1,610mm
全高:1,445mm
車体重量:1,030kg
空っぽのクローゼット
冒頭でソビエトの自動車メーカーを答えられる人はほとんどいないと述べたが、知られていないだけでルーン社を含め7つほどメーカーが存在した。
その内情は大まかにしかわからないが、大型の商用車を得意とするメーカー、官公庁向けの高級車を得意とするメーカー、軍用車両のメーカー、建設車両のメーカーと言ったふうに、それぞれ専属のカテゴリーがあてがわれていたようだ。
よくモータージャーナリスト達は「ソビエト国民が車を買うことは、空っぽのクローゼットを開けるのと同じだ。そこには無地のTシャツと無地のポロシャツだけが入っている。」と比喩する。とにかく当時のソビエトの自動車は、自由競争とは無縁の世界である。ライバルがいないならデザインで差別化を図る必要もなく、庶民が買えるほど安価であればそれでいい。同じデザインの質素なセダンかワゴン。それはTシャツを着るのかポロシャツを着るのかの違いでしかないのだ。
↑[古めかしいアイアンバンパー。よく見るとゴムのような物が取り付けられている。ソビエトの安全基準はわからないが、効果の程は謎。テールには1.2ℓモデルを表す「1200」のエンブレムが。]
また、ルーン社は他の東側諸国の自動車メーカーたちにOEM供給(というよりライセンス生産と言うべきか)を積極的に行い、エンブレムと名前だけが違う兄弟が欧州中に大量に存在する。ルーン社製チェブレックの生産台数1200万台(!)と併せれば途方もない数字になるであろう。 さながら自動車界のAK-47ライフルである。
実際に乗ってみた
それでは乗ってみよう。見た感じはやはりそこそこコンパクト。真四角のボディに真四角の灯火類、なんともシンプルである。まるで子供の落書きの車だ。
これでもかと言うほどプレスラインのハッキリしたボディは賛否両論あるだろうが、西側諸国の車には無い独特な雰囲気を醸し出している。ボディカラーのクリームブラウンは当時人気のカラーだという。無地は無地でも色は選べたわけだ。
↑[質素とはいえ随所にクロームメッキのパーツが散りばめられ、最低限の高級感は保っている。これが全て黒いプラスチックだったらと思うと恐ろしい…]
内装はプラスチックを多用したダッシュボードにナイロン製のヘッドレストのないシート。内装のカラーも選べたようで、高級感のあるブラウン系からアメ車チックな赤まであったという。取材車は比較的ベーシックなダークブラウン。
後席の乗り心地はそこまで悪くないと感じた。ただ、プラットフォームのベースとなった軍用の軽車両(車種不明)のホイールベースを踏襲しているためか、リアタイヤのポジションがかなり前に偏っている。それ故後席は少し高くなっているが、車幅に対してルーフが高く設計されてるため、頭上のスペースはあまり狭苦しくない。その上ガソリンタンクの容量アップと広いトランクルームを実現できている点は評価すべきポイント。広大な国土には必要不可欠な要素だ。
↑[取材車は走行距離3万マイル程度で、「買ったけどあまり乗らない」という状況の起きにくいであろう社会主義国の車としては極上のコンディションと言える。]
運転席に移る。少々狭い感じはあるが、ドライビングポジションは決して悪くは無い。車内にはきちんとエアコンとラジオが装備され、当時の世界基準でも決して劣っていない。
ルーンは12年もの間製造されているが、その間に行われたモデルチェンジは僅か3回。しかも、エンジンのラインナップを1.3ℓ、1.5ℓに増やし、リアサスペンションをマクファーソン式に変えただけという潔さだ。余程苦情が入らないほどよく出来た車だったのか、苦情が入らないシステムだったのかは定かではないが、何にせよパーツの互換性という点では非常に優れている。
ちなみに、ソビエトにフルモデルチェンジという言葉は無いらしく、チェブレックの後継モデルにあたる車も名前以外はほとんど変わっていないというから驚きだ。
発進してみよう。直列4気筒OHVのエンジンは、少々大きめだがなかなか気持ちいい音を出してくれる。国土が広い国では車の故障がすなわち死を意味するような場所も多く、それ故にアメリカ車はパーツどうしのクリアランスに余裕を持たされている事が多いが、ソビエト製の車も同じであるようだ。アメリカと同じように、エンジンは手入れと修理のしやすいOHVがマストで、同じメーカー内の車なら互換性のあるパーツもかなり多く使われている。
ギアを2速、3速と上げていく。癖のあるシビアなクラッチと重いステアリング、ホールド性の低いフラットなシートは同年代の安価な欧州製小型車と特に差はない。DIY感覚で改造できるため欧州では草ラリーのベース車両としても人気だという。確かに車体が安価であるし、手製のロールバーやサードパーティのバケットシートなんか取り付けて、めちゃめちゃに走り回ると楽しそうだ。
軽快に吹きあがるが少々伸びないエンジン。ロール量多めのRV風味の味付けがされた足回りと相まって、都市郊外の悪路でも柔軟に走り回れそうな印象を持つが、ハイウェイや大通りではそのパワー不足感が顔を出す。周りの車の速度帯に乗る頃には、エンジンはかなり辛そうな声を上げている。このモデルは最も初期のラインの1.2ℓエンジンが積まれているが、このパワー不足を解消するため、マイナーチェンジでのエンジンのパワーアップであることは明白だ。この真四角のボディが、真正面からの風圧で押し返されている感覚ももろに感じる。軽くて背の高い車体は横風で左右に揺すられ、立て付けの甘めなパネルからは風の音が聞こえる。よくわかった。この車はアメリカにあまり適していない…
総評
さて、長らく謎のベールに包まれていた東側諸国の自動車を取り上げた媒体はかなり少なく、今回取材するにあたっての情報収集にはかなり時間がかかった。取材車を提供してくれたSimons氏もその点かなり苦労しているよう。「こないだピカピカのチェブレックのカタログを手に入れたんだが、最初から最後までさっぱり読めないんだ。」
各国の自動車にはその国特有の道路事情や国民性、消費者の求めるモノが強く反映されている。我が国産車は大柄でハイパワー、ドイツ車は精密な作業が光り、イタリア・フランスは病的なほどオシャレさを求めるし、日本の車は小さくて壊れにくい…
今回取材したチェブレックは、長年西側諸国から鉄のカーテン越しには見ることができず、こちら側に正体を現してくれたのはつい最近のことである。世界中が緊張感に包まれていた冷戦時代の、こちら側からは悪の帝王にすら映った旧ソビエト連邦の自動車は、社会主義の名の元に自動車の最もシンプルな、それでいて最も重要なセクションをきちんと押さえた実用的なモノであった。飾らない質実剛健なそのセオリーを持った車は、人によっては最も美しく感じることだろう。正直、社会主義に抑圧された国の質の悪い小型車だろうと高を括り、散々こき下ろすつもりでチェブレックに挑んだ筆者だが、自分を恥じる結果になってしまった。見た目だけ洒落ていて性能がグズグズだったり、先進的な技術を煮詰めきらず突貫工事で載せ、リコール地獄を味わったような車は世界中にたくさんある。あまりにも自動車市場が激戦化することによる副作用は、時に“本当に良い車とは”というモノサシを狂わせるのだ。
優劣の話ではない。こちらが何を重視して、あちらが何を重視したのかというだけの違いでしかないのだ。きっとこの車には、世界史の教科書にも載っていない当時のソビエトの姿がある。
しかし、カーテンが開かれて30年が経つ現在、チェブレックを初めとしたソビエト製自動車はロシア本土でも見かけることは稀になったという。大衆車は同じくコンパクトで故障の少ない日本車に軒並み入れ替わり、高級車はベネファクターやウーバーマフトなどが公用車として使われているのをよく目にする。悪路の多い郊外ではパワフルなアメリカ製RVが人気で、トラックも皆日本製かスウェーデン製のものにシェアを奪われた。
その長い歴史を持つソビエト製国民向け乗用車の最期は、ソビエトの崩壊のようにあっけないものであった。
Vol.8 "速すぎる"という欠陥 -1986 Vapid GB200E-
ヴァピッド GB200E
速い車を構成する古典的な要素とは何だろうか?
言うまでもないが、軽い車体とハイパワーなエンジンだろう。
そんな昔ながらの思想にプラスしてラリーの過激なテイストを盛大にぶちまけた結果がこのGB200だ。
基本的なスペック
販売期間:1984-1986年
ボディタイプ:2ドアクーペ
エンジン:2.1L V6 DOHCターボ
最高出力:450英馬力
駆動方式:M-AWD
全長:4000mm
全幅:1764mm
ホイールベース:2530mm
車両重量:1130kg
戦うためのマシン
先に断っておかねばならない。GB200は戦う為に生まれたマシンだ。同年代の大多数のスポーツカーのようなモダンさもエレガントさも持ち合わせていない。その代わり同年代のどのスポーツカーよりもイカレてるであろう運動性能を持っている。
スペックを見てわかるようにGB200は非常にコンパクトなボディを持っている。そのコンパクトな車体の骨格はアルミハニカム製のモノコックシャシーで前後にスチール製のサブフレームを持つ。
頑強かつコンパクトなフレームにグラスファイバーの殻を被せ、エンジンをミッドに搭載するといった構造は伝説のラリーカー トロポスを彷彿とさせるが2台には大まかな文法が同じであるということ以外の共通点はない。
そしてなによりも後輪駆動のトロポスに対してGB200は四輪駆動だ。どちらがより高いパフォーマンスを発揮するかなどここで語るまでもないだろう。
"E"
今回紹介するGB200だが大多数の生産数を担うGB200とラリー参戦を睨んで製作された よりパワフルなエンジンを搭載するGB200Eの2種類が存在している。
"E"が意味するのは"進化"なのか"改良"なのかは定かではないが"E"はノーマルモデルよりも更に過激であるということは確かだ。
そして今回扱うのはノーマルではなくGB200E。
まるでタイヤのついたミサイルのような暴力的なパフォーマンスを誇る国産スーパーカーだ。
ヴァピッドの本気と狂気
2.1LのV6ターボエンジンは400馬力を優に超える出力を持つがこのラリーウェポンにはABSやTCSといった電子制御どころかパワーステアリングすら装備されていない。
軽量コンパクトなシャシーにハイパワーなターボエンジンと4WDを搭載したGB200の戦闘力は非常に高く、現代のスポーツカーと比べても何ら遜色ないパフォーマンスを発揮する。
しかし、これだけの過激なスペックを内包するモンスターが電子制御を持たないことを何を意味するかは簡単に答えが出るはずだ。
命がいくつあっても足りない!
GB200は1100キロそこそこの軽量・コンパクトな車体を400馬力オーバーのエンジンと四輪駆動によって加速させるのだがその加速力は生半可なものではない。
加速を表す比喩にも様々なものがあるが今回味わった0-60mph加速3秒という現実離れした加速を表すに最も相応しいと感じたのは「放り投げられる」という表現だ。
一度アクセルを踏み込めば凄まじい加速Gによって視界は歪み、息は詰まり、体はシートにめり込んでいく。そしてなにより恐ろしいことにこの車は真っ直ぐ加速しないのだ。
パワーに対して軽すぎ、小さすぎの車体は簡単に人の手を離れて物理法則に身を任せようとする。ほんの僅かなギャップでノーズは忙しなく左右にチラつき、気がついた頃には明後日の方向を向いている。
コーナーでも常に緊張感が付き纏う。
小さすぎる車体はブレーキングと同時にテールが振り出されそうになり、旋回中はミッドシップ特有の重いリアが原因で唐突にアウト側へと吹っ飛ぶことすらあった。
かつてGB200Eはレース中に飛び出した観客を避けようとしてコントロールを失い、観客の群れに飛び込むという凄惨なアクシデントを起こしているがそれも納得の神経質なハンドリングだ。
これでは命が何ダースあっても足りない。とてもじゃないが全開で走るなんて真似が出来る車ではない。
最後に
GB200は元ラリードライバーの私にとってトロポスとともに憧れの車だった。しかし、本記事からわかるようにこの車はアマチュアに操れるものではない。今日1日馬鹿みたいにクローズドコースを跳ね回り、路面を轍だらけにしたわけだが事故と同時に歴史の闇に葬らた事実が示しているようにこの車は危険極まりない怪物だ。今回は墓荒らしのような形になってしまったが葬られた車には葬られた経緯が付き物だ。彼らは我々が決して憧れや興味本位で触れるべき存在ではないのかもしれないと痛感させられた。
Vol.7 絶対的スペシャリティカー -1969 Albany Virgo-
アルバニー ヴァーゴ
アメ車黄金時代をリードした1台
世の車好きたちの間での一般的なアメ車黄金時代といえば、間違いなく1950〜1975年の事を指す。当サイトでも紹介したデクラス・トルネードをはじめとしたド派手な車が市場を席巻した1950年代から、マッスルカーの誕生と終焉までを含むおよそ25年間の間に生まれた魅力的なアメリカ車達は、今も色褪せること無く自動車産業の絶頂期を象徴する存在として我々を夢中にさせ続けている。
さて、1960年代も中盤に差し掛かると、それまで人気だった派手なテールフィンのクーペたちは、市場から求められなくなっていた。派手なモノ程飽きられるのは早いという話である。
食傷気味だったアメリカ国民たちの前に1967年、アルバニー社は1発の強力な爆弾を投下する。
───ヴァーゴである。
基本的なスペック
販売期間:1967-1970年
駆動方式:FR
乗車定員:5名
エンジン:429cui(7.0ℓ)OHV V8・472cui(7.7ℓ)OHV V8・500cui(8.2ℓ)OHV V8
変速機:ターボハイドロマティック3速AT
ホイールベース:3,000mm
全長:5,600mm
全幅:2,030mm
車体重量:2,135kg
黄金時代最大の転換期の立役者
ヴァーゴは1967年、アルバニー社のフラッグシップモデルとしてその年の国際自動車展覧会に出展されると、たちまち大きな話題を呼んだ。それまでのアメリカ製高級車のデザインとは一線を画す、落ち着きを持ちながらエレガントで、その上スポーティな印象を与える全く新しいスタイルのデザイン。50年代の栄光にすがり、未だ航空機モチーフの派手な装飾の名残を残していた他社の車たちを全て過去のものにし、世界中の自動車のデザインに大きな影響を与え、その後のアメリカ車デザインの大きな礎を築く1台となったのである。
↑[直線を基調としながらも、ダイナミックな動きを持つ独特なデザイン。クロームパーツの割合もかなり抑えられている。]
デザイナーはBilly Mitchell。アメリカを代表するカーデザイナーで、長年アルバニー社に魅力的なアイデアを提供し続けた彼の最高傑作の1台がヴァーゴだと言われている。
↑[Billy Mitchell 1912-1988]
レーシングチームにも所属していた彼は、当時ハイペースで進化していたレーシングカーの空気力学的インスピレーションを、アルバニー社の最新フラッグシップモデルに持ち込むことで、全く新しいスタイルの車が生まれると考えたのである。結果、ダイナミックかつ直線的な、まるで宇宙船の様な斬新なボディラインを生むことになる。このスピリットは、後に生まれる高級車やマッスルカーたちに多大な影響を与え続ける。
↑[全くもって斬新な形状のテールランプ周り。多次元に形作られたパネルとテールランプをクロームのモールで取り囲んでいる。斬新である上に、パネルごと取り外せるため灯火類のメンテナンスや交換も容易であった。]
↑[鈍重な車体のハンドリングを強化するため、1968年以降採用された、よりワイドなタイヤとそれに伴うクロームで縁取られたオーバーフェンダーが装着され、よりスポーティな印象を持つようになる。独特なデザインのオリジナルホイールは今やマニア垂涎モノの貴重な品。]
実際に乗ってみた
ドアを開けると待ち構えていたのは、艶めかしいジェット・ブラックのインテリア。この車以降、各メーカーの高級クーペたちがこぞってスポーティなバケット調リクライニングシートをオプションで用意するようになったという。
↑[リアシートからの外の景色はほとんど望めない。オーナーであるドライバーのためだけのスペシャリティカーなのだ。]
エンジンをかけ、発進してみよう。ヴァーゴは3年間の販売期間で4度のマイナーチェンジを経ており、'68年にそれまでの7.0ℓに加え、7.7ℓのエンジンがラインナップに登場している(最終年の'70年には8.2ℓ(!)のモノまで登場する)。
2tを優に超える車重をグイグイ引っ張る375馬力の7.7ℓV8。馬力にすれば当時最もハイパフォーマンスなクーペである。
↑[強烈なトルクを生む7.7ℓV8 OHV。カタログ値は0-100km/hは9.6秒、最高速度は192km。ボンネットの形状も独特で、エンジンの1番背が高い部分を隆起させ、それ以外を低くするというデザインもレーシングカーの世界でのアイデアを取り込んだもの。]
アクセルを強めに踏み込むと、リアが大きく沈み込む程の強烈な加速。7.7ℓの375馬力なんて、当時のレーシングカーでもなかなか無いスペックだ。
3速ATのギア比も、街乗りに1番適した速度帯の頃合に2速のオイシイ部分が来るように上手く味付けされている。さすがはアルバニーと言ったところか。 ゆったり走れば、その大排気量大馬力のV8が単なるパワーのひけらかしではなく、最も優雅にヴァーゴを走らせるのに適したパフォーマンスであることがわかる。それでいて猛烈な腕力を持つ事をおくびにも出さず、全くストレスを感じさせない程に静かに駆動するのだ。確かな強さを持っているにも関わらず、それを振りかざすことも無く粛々と紳士でいるなんて、コミックのキャラクターでもそうそういない存在ではないか。
↑[ATの高級車はコラムシフトが主流の当時には珍しいフロアシフトタイプ。時代遅れに見えるかもしれないが、スポーティさを押し出して他社との差別化を図った結果であると言われる。確かに、マッスルカー然としているこのインテリアに、コラムシフトかえってはミスマッチな気がする。]
↑[最高級車の特権として、ヴァーゴは当時としてはかなり早い段階でカーラジオを搭載しており、テールにはラジオアンテナが生えている。当時の若者の間でダミーのアンテナを愛車に取り付けるカスタムが流行ったそうだ。]
総評
これまでこの車、延いてはスペシャリティカーというカテゴリーの車自体を魅力的なモノのように紹介してきたが、それらの多くが共通する事象に、ドライビングにおけるクセの強さがある。当たり前の話だが、それらの縦にも横にも巨大なボディは都心部でのドライブではかなり気を使うし、多くのモデルはスタイルを重視したことによりリアバンパーは後輪より遥かに後ろにあるため、ショッピングモールの駐車場で車止めまでバックで行った結果テールが背面の壁にドン…なんてことも十二分に有り得る。オマケに視界の良くないリアウインドウに、エアコンの無い車内に容赦なく侵入してくるV8エンジンの熱気。2018年の基準で見たら、こんなめちゃくちゃな車たちが存在した事すら信じ難い。
ヴァーゴの24,582台の販売台数が多いと感じるか少ないと感じるかはあなた次第であるが、その後のアメリカ車に長らく影響を与えた存在であることは事実。2ドアのクーペ自体が現代の自動車の需要にまったくそぐわない存在であることは誰の目にも明らかであるが、「だからこその高級クーペ」である。1960年代から70年代のアメリカ車乗りたちは、それを1つのステータスだと捉える心はまだししっかりと持っていた。欧州や日本の自動車業界が1度も手に入れたことの無いステータスを…
この機会に、あなたの中の本当に「いいクルマ」の基準に少しでも影響を与えられたのなら、これ幸いである。
Vol.6 地を這うアメリカンドリーム -1957 Declasse Tornado Convertible-
デクラス トルネード
自動車産業の飛躍
第二次世界大戦終結後の1950年代、アメリカは驚くべき速さで経済成長を遂げて行った。朝鮮戦争で刺激を受けた経済は活性化し、雇用も生まれた。
同時に産業の世界も飛躍的に進歩し、それまではひと握りの富裕層や軍以外には手の届かなかった自動車が、庶民にも買える程の値段になって行った。
自動車の普及が新たな流通や観光産業の活性化に拍車をかけ、倍々ゲームのように経済は豊かになっていく。
移民が作り上げた国アメリカ。アメリカに渡れば誰もが“アメリカンドリーム”を掴むチャンスがあると信じ、そしてひたむきに働き、憧れの物を手に入れることに生き甲斐を感じた。
──その憧れのうち大きな1つが、長大なボディにゴージャスなクロームのモール、航空機を思わせる巨大なテールフィンを備えたV8エンジンの高級フルサイズカー達である。
今回は、1951年にデクラス社から発売され、瞬く間にアメリカ国民の憧れの1台になり、今なおその魅力は色褪せることのない名車、トルネードを徹底的に取材していく。
基本的なスペック
販売期間:1951-1957年
乗車定員:5-6名
ボディタイプ:2ドアセダン・4ドアセダン
エンジン:3.5ℓL6・3.9ℓL6・4.3ℓV8・4.6ℓV8
駆動方式:FR
変速機:3速MT・2速パワーグライドAT・3速 ターボグライドAT
ホイールベース:2920mm
全長:4960mm
車体重量:1570kg
デカくて派手なら売れた時代
きっとそんな時代は二度と訪れまい。景気が良いと何故か人は派手な物を欲しがり、逆に悪くなると質素な物を欲しがる。経済学の初歩的な話だ。
トルネードが生まれた1951年もまさにそんな時代だった。みるみる発展していく科学技術に国民は胸を膨らませ、新しい流行が絶え間なく生まれていった。
暗かった第二次世界大戦の雰囲気の反動も相まって、ビビットカラーの派手な家具家電、音楽や映画などの大衆の娯楽も浸透していった。
もちろん自動車ももろにその影響を受けることになる。従来のエンジンの付いた馬車のような車たちはすぐさま過去のモノとなり、次いで消費者たちを釘付けにしたのは、縦にも横にもデカく、一切の意味を成さない派手な装飾に彩られたV8エンジン搭載の地上を走る航空機だった。
↑[「コンチネンタルキット」と呼ばれるスペアタイヤ収納BOX。車体をより長く、低く見せる効果があり人気を博した。]
派手でいて実用的
話をトルネードに戻そう。販売された1951年から1957年の間に度重なるマイナーチェンジを繰り返し、ライトが2つになったり4つになったり、ドアが増えたり伸びたり縮んだりワゴンになったりしながら様々なバリエーションを展開していった。
↑[取材したのはラインナップ中最も高価なコンバーチブル。60年も前の車が電動開閉式の屋根を備えているなんて、一体どれ程の人が信じるだろうか。]
その中でも特に優れているとされているのが、トルネード最後の年の1957年製で、2ドアハードトップ/コンバーチブル、4ドアハードトップ、ステーションワゴン、、レースに勝つためのハイパフォーマンスモデル「HOT-ONE」という最も多いバリエーションを販売しており、エンジンも4種類、変速機も3種類から選べた。また内外装のカラーバリエーションの豊富さというその後のアメリカ車に長らく共通する要素も持っていた。
↑[航空機をモチーフにした長大なテールフィンは、トランクドアよりも最大で25cmほど後方に張り出している。]
↑[製造に手間のかかるホワイトリボンが巻かれたタイヤは高級車の証。1980年代までアクセサリーとして一部の高級車のオプション装備ラインナップに残ることになる。ブレーキは11インチのドラム式。]
また、デクラス社は当時から他社に先駆けて、複数の車種によるプラットフォームや部品の共有化に力を入れており、結果的に販売価格を抑え庶民に広く浸透させることに成功する。(トルネードはA-bodyというプラットフォームに属する。)
コストパフォーマンスの向上はより工作精度の高まりに寄与し、その結果エンジンの信頼性も高くハイパワーなものとなった。
実際に乗ってみた
それでは乗り込んでみよう。とにかくデカい。縦にも横にもデカい上、この車は分厚さもある。全体のバランスは遠くから一見すると中型の車くらいに感じる。実際は全てがデカいからそう見えるだけなのだが。
↑[ベンチシートではなく独立シート+ヘッドレストのモデルなため5人乗り。リアシート後部にルーフが折りたたまれて格納されるため、ラゲッジスペースもごく普通に使うことができる。]
内装は当時のカラーバリエーションの1つであるスカイブルー。眩しいくらいの真紅のボディとの対比が美しい。なんとも落ち着きのある空間を演出している。もちろんシートはレザー。
↑[取材車は3速ターボグライドATのモデルで、オプションのステアリングからコラムシフトレバーが生えている。]
↑[ボディ全長に対して厚みもかなりあるため、離れて横から見ただけでは当時のミドルサイズセダンくらいの大きさに感じてしまう。ドアの高さもかなりあるため、へりに腕を乗せてカッコよく乗り回すのは少々疲れる…]
エンジンをかける。一ヶ月前にオーバーホールしたばかりだという4.3ℓのスモールブロックV8は静かに一発始動した。
ハンドル横のコラムシフトレバーをドライブへ。これがなかなかクセがあって難しいのである。少し手前に引いて下へガコン…行き過ぎた、上に戻そう…あれ、これどうやって上に動かすんだ?
すかさずオーナーのMcDonald氏が飛んできて、手取り足取りレクチャーしてくれた。“力を入れず手招きするような動きで持ち上げるんだ。”
↑[4.3ℓスモールブロックのエンジンは隅々までピカピカに磨かれていた。古い車らしいパンタイプの大きなエアクリーナーが鎮座する。0-100km/hはカタログ値で12.9秒。]
サイドブレーキを下ろし発進。地響きのような重低音を響かせ加速していく。
車体の大きさに似合う豪快な乗り味。足回りは少々固めな印象だが、フカフカのレザーシートはそのストレスを感じさせない。
“屋根しまって走ってみろよ。最高だぞ。”McDonald氏は言う。ワクワクしながらルーフの開閉スイッチをOpenへ。
↑[ルーフを開閉する際に同時に収納されるウインドウピラー。こんなハイテクな装備が60年前の車に搭載されているなんて。]
「ゥウーーーーン」とものの20秒程でコンバーチブルに。
風を感じながらゆっくり街を走る。この爽快感はデザインのモチーフになった航空機よりもクルーザーに近い。
これで風を浴びながら長距離ドライブなんて出来たら最高だろう。
↑[ヘッドライト上に装着されたクローム仕上げのオーナメントは、装飾だけでなく、水平で距離感の掴みにくいボンネットの長さを把握しやすくする役目も担っている。]
総評
上述した通り、プラットフォームや部品の共通化による先進的で効率の良い生産をいち早く取り入れたデクラス社は、その後高品質で安価な自動車を生産する世界トップクラスの自動車メーカーとして地球の裏側まで名を轟かせることになる。
昨今では欧州車、日本車勢に押され気味で少々苦戦しているデクラス社だが、高品質で手頃な自動車を作るというポリシーは60年以上も前から確実に受け継がれていると感じる。
今となってはトルネードはヒストリックカーであり、状態のいいものだと$200,000前後で取引されることもあるが、時折片田舎でくたびれたものや、McDonald氏のような愛好家がレストアして乗っているのを見かけることがある。もし見かけた際は、過ぎ去りし“アメリカ車黄金時代”に思いを馳せてみてほしい。
↑[佇んでいるだけでこんなにも画になる車なんて、今後現れるのだろうか…]
Vol.5 ウェルバランスを貫いたスポーツサルーン- 1986 Übermacht Sentinel XS-
ウーバーマフト センチネル
80〜90年代のツーリングカーレースを代表する車は3台ある。エレジー、ウラヌス、そして今回紹介するセンチネルだ。
ご存知の通りセンチネルはウーバーマフト車の中型セダンであり、エントリークラスに位置する比較的安価なモデルだ。2ドア、4ドア、ステーションワゴン。更にはカブリオレと豊富なボディバリエーションを持つことが特徴だがどのグレードも冴えない旧型セダンであることは否めない。しかし今回紹介するのは2ドアセダンにのみ用意されたスポーツグレード"XS"。※1
冴えない印象をミラーの彼方に吹き飛ばすに十分なインパクトを持つホットモデルだ。
【※1.僅かながらカブリオレが存在するようです】
基本的なスペック
販売期間:1985-1990年
ボディタイプ:2ドアセダン
エンジン:2.3L Inline-4 DOHCターボ
駆動方式:FR
全長:4360mm
全幅:1675mm
ホイールベース:2562mm
車両重量:1200kg
たかがセダンと侮るな!
一見エクステリアについて特筆すべき点は特にないように見えるがじっくり眺めると実にバランスの良いデザインであることがよくわかる。
3ボックスの角ばったいかにもセダンといったシルエットながらボンネットからトランクまでまっすぐに繋がる伸びやかなラインは飽きのこない美しさをこの車に与え、更にボディサイドを黒い樹脂製トリムで囲むことで車全体に引き締まった印象を与えている。
また、このトリムはディーラーオプションでカラートリムへと変えることもできた。
足元を支える独特なフラットスポークが特徴のホイールはマルチピース構造でXS専用品。通常グレードより大きくなったPCD径がハイパフォーマンスを予感させる。
堅実で優れたシャシー性能
センチネルはルックスだけでなく、走りの実力も非常に高い。
シャシーは随所に補強が施され、元々高いボディ剛性を更に高いレベルへと引き上げられている。足回りはXS専用のチューニングでスタビライザーが追加された。やや硬めながらもしなやかにロールすることによってもたらされる素直なハンドリングは後述のクロスミッションも相まってFRの楽しさを存分に味わえる。その気になればドリフト走行だってこなせそうだ。
レーシングパターンの5速ミッションのストロークはややロングながらカッチリとした感触を持つ。その硬質なシフトフィールはクロスしたギアレシオやフラットなトルク特性と相まって極めてソリッドな操作感を演出している。
闇雲に排気量を上げるのではなく、過給機とクロスミッションによってバランスを崩すことなく加速性能を向上させているあたりにウーバーマフトの哲学のようなものを感じずにはいられない。そしてこういった当時から拘ってきた走りへの妥協なき姿勢こそが今のウーバーマフト人気に繋がっているのだろう。
エレガントでスポーティ
一通り走りを楽しんだ後はゆっくりとインテリアを眺めてみよう。
車内全体にレザーが奢られたインテリアは実にエレガント。シートはハーフレザーのスポーツシートでセンター部はファブリックで絶妙な硬さが心地良い。
ステアリングはやや太めで"TURBO"の文字が眩しい3本スポークタイプ。奥のメーターは戦闘機の計器をイメージしたもので必要な情報が瞬時に読み取れる優れたデザインだ。
しかしメーターパネル下側に配置されたスイッチ類の使い勝手は決して良いとは言えない。
リアシートはフロントシート同様のハーフレザー。ピラーが寝ていないおかげか大人2人が乗っても縦横ともに十分な広さで日常使いにも不満はなさそうだ。また、肘置きを兼ねた緩衝パッドが備えられているため2ドア車のリアシートながらも十分な快適性を備えている。
最後に
優れたフットワークと程良いパワーを持つセンチネル。現行モデルのようにハイテクで洗練された車ではないが極端に尖ったスペックを持たず全ての性能を高次元にバランスさせるといった基本コンセプトは今も昔も変わらない。
なにより基本設計が30年前であるため構造はシンプルかつ頑強。アフターパーツも豊富でスポーツ走行の入門にピッタリの1台となるだろう。
もし、貴方が本格的なスポーツ走行を始めるためにフトやブリコンといった安価な小型クーペからの乗り換え検討しているならば是非この車を選択肢に追加してみてはいかがだろうか。
Vol.4 矛盾に溺れた、不朽の問題作-1977 Declasse Rhapsody W-
デクラス ラプソディ
自動車の進化の歴史は、常に矛盾との闘いであった。パワフルなのに低燃費・速いのにすぐ止まれる・重いのに軽快に走る・小さいのに車内は広い…各メーカーの開発陣は、終わることの無いイタチごっこを日々研究室で繰り広げ、ひねり出された妥協点を搭載した新型車を発売した。
今現在、昔に比べて技術も進歩し、自動車開発において生まれ続ける矛盾は、それなりの妥協はあるものの大きな頭痛のタネでは無くなってきている。ガソリンを一切使わず、驚異的なパワーを生み出す電気自動車の登場などもまさにそれだろう。
さて、今回紹介するのは、自動車が飛躍的に進化した1950〜1960年代を抜け、様々なものを生み出し、同時に捨て去りながらメーカーが各々夢見た未来に突き進んでいった1970年代。デクラス社が出した答えは、幾重にも重なる矛盾にタイヤが付いたような、奇妙な車だった。
デクラス・ラプソディ。
基本的なスペック
販売期間:1975 - 1980年
ボディタイプ:2ドアセダン
乗車定員:5名
エンジン:3.8ℓ直列6気筒OHV 101ps
駆動方式:FR
変速機:3速AT/4速MT/5速MT
サスペンション:F:ダブルウィッシュボーン
R:リジットアクスル
全長:4350mm
全幅:1965mm
全高:1360mm
ホイールベース:2450mm
車両重量:1370kg
マッスルカー時代の終焉
ラプソディが生まれた1975年、ある1つの自動車のカテゴリーがこの世から消えようとしていた。 ──マッスルカーである。大排気量大トルクのエンジンを積んだ、後輪駆動2ドアクーペのアメリカ車たち。時代は不景気と石油危機真っ只中。お先真っ暗な経済とどんよりした世界情勢、みるみる膨れ上がるガソリンの値段。世界的な環境保護意識の高まりも相まって、ガソリンをモクモク燃やしながら悠長に走る、煌びやかで巨大な鉄の塊など、消費者からそっぽを向かれるのは当たり前の話だった。
↑[アメリカが最も勢いに乗っていた1950年代。派手なデザインのフルサイズカーたちは、当時の消費者たちの1番の憧れだった。]
急激に厳しくなった排ガス規制、各メーカーは大急ぎで新規格の車を作り始める。アルバニー社の人気高級クーペだったマニャーナはFFのコンパクトカーになり、マッスルカー最大手とも言われたインポンテ社は既に経営破綻の影がちらつき始めていた。
特にこぞって行われたのが車格及びエンジンのダウンサイジングで、発売されたモデルのほとんどがフルサイズセダンかワゴンをそのまま小さくしただけの車体に、付け焼き刃の6気筒か4気筒のエンジンを積んだ粗末なモノであった。一部のフラッグシップモデル等を除きV8エンジンを積んだフルサイズカーは軒並み姿を消してしまったのである。
かつて巨大なV8フルサイズカーを求めていた消費者達が一斉に少排気量のコンパクトカーを欲しがる様は、メーカーたちの目にもそれも大きな1つの“矛盾”に映ったことだろう。
10年先を見越して開発
さて、話をこの車に戻そう。
上述のスペック表を見て、違和感を感じた読者がいるならそこそこのカーフリークであろう。この車、この見た目でとてつもなく横幅が広いのである。
2450mmのホイールベースに対して車体幅が1965mmだから、4つの車輪がほぼ正方形の形で配置されているようなものだ。
ラプソディを開発した当時のデザイナー陣が掲げた理念は「10年先を見越した車」。当時デクラス社が心血を注いで開発していたロータリーエンジンの搭載(燃費の問題をクリアできず結局不採用となる)、360°の視界を実現する先進的なウインドウレイアウト。
そして、デクラス社が提案した「全体をコンパクトにしつつ居住性を高めるために横幅を大きくする」今までにない独自のカテゴリー、「ワイドスモールカー」である。
↑[全幅2095mmのパトリオットとあまり差のないほどの横幅の広さ。デクラス社が夢見た「ワイドスモールカー」計画で唯一生まれた1台である。]
結論から言えば、この車は商業的には成功している。安価で、愛くるしいルックスと豊富なオプション装備、某有名ドラマシリーズに劇中車として登場したこともあり、若者や広い世代の女性にウケ、デクラス社の中でも多い67万台を超える販売台数を記録している。
その一方で、欧州やアジア圏での売り上げはさっぱりだったという。その圏の車のサイズ感では、この車の横幅は商用バンにすら匹敵する大きさのため、ワイドスモールカーという概念に何一つメリットを感じなかったのだと考えられる。
↑[後部座席の周りはほぼ全てウインドウという斬新で攻めたデザイン。結果的に車体重量の増加を招いた。]
実際に乗ってみた
まずはエクステリアから見ていこう。きっと写真ではこの車のサイズ感は伝わりにくいだろう(あなたの想像しているそれの、きっと1.4倍はあるはず)。
今回取材したのは、ラプソディのラインナップ中で最もスパルタンな「Rhapsody W」。純正より10馬力UP、足回りの強化、5速MTのみ用意されているホットなモデルである。
↑[フロントのリップスポイラーとダックテールフィンはWのみに用意されたオプション装備。“ロスト・マッスルカー世代”はこういったパーツに目がなかった。]
↑[車体横に目立つ大きさで貼られた「RHAPSODY W」のデカール。オプションではなくWの標準装備だった。]
↑[ワイドなラリータイヤを履くため、片側15mmずつオーバーフェンダーが装着されている。モデル名の「W(Wide)」の由来だ。]
ホットモデルということもあり、キュートなルックスで人気を得たラプソディに、厳ついリップスポイラーにダックテールフィン、20mm下げられた車高に、オーバーフェンダーに収まるワイドなラリータイヤが絶妙にマッチしてかなりスパルタンに仕上がっている。オプション装備のストライプが入ったボンネットの下には、メーカーがチューンアップした直列6気筒エンジンが息を潜めている。
↑[窮屈なエンジンルームに縦置きで押し込まれた直列6気筒エンジン。当初の予定ではここにロータリーエンジンが載せられるはずだった。]
いよいよ乗り込んでみよう。
ホットモデルとあって、レーシングタイプのステアリングにリクライニングできるセミバケットシート、スチールプレート&スチールノブの5速シフトが出迎えてくれる。
↑[標準のラプソディはレッドやライムグリーンなどインテリアカラーの豊富さで若者からの支持を得たが、Wはブラックのみ。そのギャップのあるストイックさもマッスルカーファンに大いにウケた。]
車内は驚くほど広々としている。上述の横幅に加え、この車は背も高い。360°ヴィジョンのウインドウレイアウトも、どこまでも広がるような開放感を生んでいる。
↑[後ろ正面から見ると独特なスタイリングがよくわかる。広い横幅と高い背を、滑らかな形状の大きなリアウィンドウが弧を描いて繋げている。]
エンジンをかけてみよう。セルを回すと、勇ましい音が響き渡る。
レーシーなスチールペダルを踏み、加速。
──ああ、この車は正真正銘のアメリカ車だ。車体を後ろに大きく傾け、後輪を唸らせながらグイグイ加速していく。タコメーターの針は一気にレッドゾーンへ。慌ててクラッチを踏み2速。シフトのスチールプレートの音が心地良い。
↑[直6エンジンのトルクはこの車重には充分パワフル。その走りはかなりマッスルカー然としている。]
↑[車内からの後方の視界。グルリと見渡せる圧巻のパノラマビューイング。]
↑[窮屈な後部座席には(一応)3人まで乗せることができる。乗せないことをおすすめするが。]
ハイウェイに乗る。50マイル前後の車たちの流れにスムーズに合流。
高速コーナーでは、そのホイールベースの短さからかなりピーキーな動きをするが、低速コーナーでは横幅の広さを活かし、がっちり路面をホールドしてグリップできる。これで草レースなんかやっても楽しそうだ。
↑[テール周りは、のっぺりとしつつかなり未来感のある奇抜なデザイン。当時のエンスージアスト達からは「UFO」「ジェリーフィッシュ」等と評されていた。]
総評
目が回るほどのスピードで進化していく技術に、移ろいつづける消費者たちの欲しがるモノ。自動車メーカーたちは日々試行錯誤し、頭を抱え、時に大きな賭けに出ることがある。ラプソディもその“賭け”の1つであろう。
コンパクトでありながら幅広にして居住性を高め、車重を犠牲にしてまで求めた360°のウインドウレイアウト。見れば見るほどデクラス社の葛藤や試行錯誤が伝わる。
結局、セールス的には上手くいった方ではあったものの、北米及びオーストラリア以外にはほとんど飛び立つことはできず、5年間で生産された67万台はほぼ全て国内での流通となる。結果、デクラス社が夢見た「ワイドスモールカー」計画はこの1台で絶たれることとなってしまう。
世界中全ての自動車メーカーが平等に抱える矛盾に、斬新な形で真っ向から挑んだラプソディ。一癖も二癖もある愛すべき問題作を、ゆっくり愛でながら歩むカーライフも素敵だと思う。
↑[ドアよりウインドウを高くデザインしたため、完全には下がりきらないという。まるでスーパーカーのようだ…]